大阪実家相続介護問題相談所キーライフジャパン会社概要

実家の売却は実家売却専門の不動産屋
キーライフにお任せください

相続対策専門士 江本

じめまして
実家の売却を得意とする不動産屋 キーライフジャパンの江本圭伸と申します。

不思議なご縁で出会うことができて、非常に光栄です。
こんな私ですが、何か少しでもお役に立つことがあれば、
これ以上の幸せはありません。

どうして実家の売却に実家売却専門の不動産屋が役に立つのか?

きっと「実家の売却専門?他の不動産屋となにが違うの?」とお思いだと思います。
たぶん実家と離れた場所にある私みたいな零細不動産屋に実家の売却を任せることに不安もあるかと思います。
でも、こんな私でも意外と役に立つことも多いんですよ。

単純な売却ではないのが実家の売却です。

「ただ売ればいい?」という風に単純にはいかないのがご実家の売却です。
実家の売却には意外とややこしい問題が隠れているのですよ。

各相続人間の意見調整

ご実家のご売却にあたってはくれぐれも慎重に事を運ばなくてはいけません。
フライングで相続人の誰かひとりが勝手に実家の売却を進めるなどもってのほかです。
そんなことをしてしまうと今まであれほど仲の良かった兄弟姉妹間の関係にヒビを入れてしまうこともよくある話だからです。
実家の売却には、各相続人みんなの共通意識をまず作っておかないといけないのです。
なぜなら、仮に新しい買主が見つかったとしても誰かひとりの相続人が反対すればたちまち売却はできなくなるのです。
所有者変更の登記は相続人全員の合意了承のもとに実印・署名が必須です。ですから、誰かひとりでも反対すれば売れないのです。

私は弁護士ではないので、各相続人間での意見の取りまとめや交渉まではできませんが(弁護士法に抵触します)各相続人の方が気持ちよく納得できるような根拠資料を提供してスムーズな実家の売却を目指しています。

意外と誤解の多いのが相続に関する法律です。

私も「そんな法律、いつできたんや! そんなもん納得できん!」とお叱りを受けることもよくあるのですが、こればかりは法律で決められているのですどうしようもありません。

「特別受益」「特別寄与分」「遺留分減殺請求権」「法定相続人の範囲とその相続割合」など
一般の方には馴染みのない法律もたくさんあります。必ずしも現実に沿ってはいないのが法律なのです。

まず、そのあたりをしっかりと各相続人の方にご理解してもらわないと
実家の売却は進めることができません。

手前味噌ですが、相続・介護に強い不動産屋である私がこんなところでも、しっかりとみなさんにご説明や納得してもらえるのが強みです。

実家の売却には事前に必要な調査や書類を揃えるお手伝いもします。

実家の売却には、ただ権利証と実印があればいい?といういう訳にはいかないのです。
相続にはさまざまな書類が必要です。たとえば亡くなった親のオギャーと産まれてから死ぬまでの全ての戸籍謄本なども必要です。
そのために相続に強い司法書士・行政書士・税理士などの専門家とのネットワークづくり日頃からしており、必要に応じて適切な専門家をご紹介しています。

また、予め実家の売却の前に相続登記を済ませておかないとスムーズな売却ができないこともご理解しておて下さいね。

ただ、お力になれないこともあることを正直に告白しておきます。

「実家の売却はお任せください!」と偉そうなことを言っている私ですが、正直お力になれないこともあることを恥ずかしながら告白しておきます。

すでに各相続人間で大きな遺産トラブルが起こってしまっている?

もちろん、その遺産相続トラブルの解決に向けて全力でサポートいたしますが、こればかりは私の業務の範囲を逸脱しております。
私なりにサポートさせていただいても、どうしても?どうしても?ご理解いただけない相続人がいる場合は家庭裁判所など第三者の判断を仰ぐか?とりあえず時間を置いて相手の誤解を解けるのを待つしか方法がないこともあります。

マーケットが成立していない地域の実家のご売却

いくら実家を売りたくても、買いたい人がいないような地域ではご売却は難しいです。
今は都心部に人が集中していますから、どんどん人口が減少しているような地域ではかなりお値段を安くするか?長期間の売却活動が必要なことも珍しくありません。
特に駅からバス便のニュータウン
まわりにあまり人家の建っていない地域の田畑は苦戦します。

不動産屋がなぜ介護・相続についてみなさんにお話をするのか?

みなさんはなぜ
弁護士でもない?
税理士でもない?
街の不動産が介護・相続のことについて語っているのか?
疑問を持ったかもしれません。

それは
私も高齢の親の介護に苦しんだこと
日頃の仕事上で介護・相続と親の家である実家のトラブルに遭遇するからなんですね。

ちょっと私の体験についてもお話しいたします。

再婚同士の父と母(お互いに前妻・前夫に子供あり)

私は、昭和35年
高齢の両親の末っ子として大阪で生まれました。

今から考えれば 父が50歳目前 母も40歳目前にできた子供ですからかなりの高齢出産ですね。(両親ともに大正生まれですので、既に今は亡くなっています。)

ただ、私の家庭は少々家族構成が複雑でした。
父も母も再婚同士であり、お互いに前妻・前夫との間に子供がいました。

父親の子供達とは幼少の頃に一度会った記憶はおぼろげにありますが、 ほとんど交流はありません。今はどこでなにをしているのか?さえも知りませんし、知りたくもありません。
連絡先すら知りません。

子供の頃の私は、決してそのことには触れていはいけない部分と感じていたので 詳しく訊ねたこともありません。
※今となれば「少しその当時のことも訊いておきたかったな?」と思います
※まさにエンディングノートさえあれば、その当時のことも少しは書いてくれていたかな・・・?

一緒に同じ屋根の下暮らしていたのは、 8つ上の姉、3つ上の兄 そして両親の5人家族でした。
父はペンキ職人であり、決して裕福ではないですが、 末っ子の私はなに不自由なく育ててもらいました。
姉や兄はそれなりの苦労があったようです。
借地で長屋(地盤沈下で床が歪んでいる)である私の実家にはお風呂がないので、 家族全員で銭湯に行ってましたけど・・・

父の肺ガン発症

父は、私がサラリーマンになりたての頃に肺ガンを患い、片肺を全摘手術を行いました。

その後 父は仕事を辞めましたが、近所に兄が住んでおり孫の世話に生き甲斐を感じていたように思います。

その後、父はよく風邪をこじらせました。
片肺しか無いので、すぐに肺炎を発症しそのたびに実家からはかなり離れた関西医科大病院に緊急入院をしていました。
そんな父がまた風邪をこじらせました。
寒くなると何度も風邪をこじらせていた父でしたので、いつも通り病院に送り、私は会社に出かけました。(母と姉が付き添ってくれました)
当時は、自分で不動産会社を立ち上げたところで、私自身も必死でしたから 父を思いやる気持ちも不足していたのかもしれません。

病院の待合所のソファで、苦しくて横になっている父に
「お父ちゃん 僕 会社に行ってくるなxぁ!」
と声をかけ、父と別れました。
父は声も出さずコクッと首を上下に振ってくれました。

その後 父はすぐに人工呼吸器をつけられました。
(人工呼吸器をつけると、麻酔で眠らされます。)
※父が肺炎をこじらせての入院ではいつものことでした。

数週間後、父は一言も僕達家族と言葉を交わさないまま天国へ旅立ちました。

父はそのまま旅立っていきました。
人工呼吸器をつけられて、眠っていたまま・・・・
そのまま意識のないまま・・・・・

面会に行っても、ずっと眠ったままの父でしたから、「亡くなった」と医師より宣告されても全然実感がわきませんでした。
「えっ?先生 寝てるだけちゃいますのん?」
それが父の死に直面した私の感想でした。
父が亡くなった実感は、亡くなってから時間が経ってからでした。

私の家庭はほとんど親戚づきあいも無かったので、頼りにできる人もなく姉と兄とあたふたと葬儀を済ませました。
※今から考えると「兄弟がいて助かった!」と実感しています。
 一人っ子の方はさぞ大変だろうかと・・・

この時が身内の葬儀は初めてだったので
「葬式ってこんなに大変なんだぁ!」
と初めて実感したんですね。

その後は母との二人暮らしが長らく続きました。

姉も兄もすでに結婚して所帯を持っていましたし、 なにより私には気楽な母との同居が一番快適でした。 まあ、しょっちゅう喧嘩ばかりしていましたけど・・・
(母に会社経営の苦しさ・辛さなの理解できませんし、いつまでも子供は子供ですから・・・)

父が亡くなり、母と二人きりの生活はその後何年も続きました。
この生活が一変するなんて、想像すらしていませんでした。

そんな時 突然・・・・

母がおかしな喋り方をしだしたのです。

「ちょっとお母ちゃんが喋り方がおかしいから
 近所の病院に連れて行ってくる!」

たまたま実家に寄っていた姉から携帯電話に連絡がありました。

私は不動産の売買契約中で、ほとんど会話もせず電話を切りました。

姉は家の子供たちの食事もあるのでとりあえず自分の家に帰らなければならず 契約を済ませた私はあわてて病院に駆けつけました。

母は長い時間をかけて点滴を受けていたようです。

眼を開けた母は、ろれつもまわらない口調で
「こここ・・・ここどこやぁ!」
「なんで ううう・・う・・うちはここにおるんや?」

と変な質問をしてきました。
母は 脳梗塞を発症していたようです。

その後 母のリハビリ生活が始まりました

母は大きな病院にすぐに移り、治療を受けました。
その後 リハビリ用の病院に転院し、約半年ちょっとで自宅に戻れました。

幸い軽い後遺症程度で済み、ほっと胸をなでおろしました。

しかし事件が起こる!

それからは、身体の不自由なストレスからか?
母も感情の起伏が激しくなりました。
※以前からかなり強烈な母でしたが、以前にまして激昂することも珍しくなくなりました。

母の度重なる癇癪(かんしゃく)で、
さすがの姉も音をあげ大喧嘩に・・・

母の度重なる癇癪(かんしゃく)に姉も音を上げ、ついに大きな喧嘩が起きてしまいました。
今から考えれば認知症の典型的な初期症状だったかも?でも当時の私はそんなことはわかりませんでした。

食事の世話は姉がしてくれていたのですが、 母は姉が用意してくれたその食事も摂らず、ハンガーストライキに突入してしまったのです。
私は仕事のあいまに母の好物を差し入れするくらいしかできません。

いつもどおりリハビリ前の前夜には実家に泊まる私でしたが
「眼が見えへん!真っ暗や!」
と突然訴えたのです!

その後、トイレから出てきませんでした。
うちのオンボロな実家のトイレは狭く、便座にうずくまったままの母をそこから救出 連れ出すのも大変でした。

「げぇぇ!また脳梗塞再発か?」

慌てて救急車を手配し、病院へ!

幸い脳梗塞ではなく、低血糖が原因だったようです。
食事も摂らずに、きつい糖尿病の薬を飲んでいた為、低血糖に陥っていたようです。

『もぉーーーぉ!心配させてぇ!』
と深夜の病院で医師からの説明を受けた私達はホッとしました

眼を覚ました母は・・・・?

病院で眼を覚ました母はあきらかにおかしな様子でした。

幻覚を見ているのか?
わけのわからないことを言うのです。
点滴のチューブも何度も勝手に外すので、血だらけの手もベッドに縛られてしまいました。

せん妄です!

医師に質問すると 「せん妄と思われます!」と言われました。

「せ・・・せ・・・せ・・ん・・も・・う???」

高齢の方がショックを受けると一時的に認知症になってしまうとのことでした。

「先生 元に戻りますよね・・・?」

神にも祈る気持ちで、そう質問すると
「戻る方もいれば、そのまま認知症になる方もいます。」
となんともつれない返答が・・・・

その後 母は・・・・

転院を何度か繰り返し、母の認知症がひどくなりました。

ただ、たまーーに普通に戻り、しっかりしたりもするのです。
そんな時には僕の知らなかった昔の事も話してくれたりもしました。
昨日のことなど何も覚えていないのに、昔のことは鮮明に覚えているから不思議です。
その時は本当にうれしいのですが、翌日にはまたトロンとした目つきに戻り・・・(涙)
時には何を話しかけても無反応に・・・(涙)

あれだけ気丈で冗談ばかり言っていた母が、こんな風になるなんて
正直 大きなショックを受けました。

そんな生活 かなり長く続きました。

正直 介護の大変さを身に染みて実感しました!

頭では理解していても、現実はそれをはるかに想像を超えていましたね・・・。

在りし日の母です

(日が経つごとに、徐々に反応が無くなっていきましたが・・・(涙))
(歩くリハビリを嫌がりだしたらあっという間に足が細くなってしまいました)

毎朝 食事介助に病院に行き、いつもiPhoneで動画をとって姉や兄に配信していました。
(みんな 忙しいのでお見舞いのもこれないので好評でしたよ!)

会社の定休日には一日 ずっと母の横で話をしていました。
少しでも認知症が進まないように・・・
母は私の知らない娘時代のことを何度も何度も同じことを話してくれました。
ちなみに母曰く「うちは村で一番の美人やってんでぇ!」ということですが 母似とよく言われる私の容姿からすると、これも認知症かな?(笑)

しかし、 不思議と病院に一日いるだけですごく疲れます!
なにもせず、ただ横にいるだけなのですが・・・

その後、母は天国へ旅立ちました。

僕にとって、母を失った
大きな悲しみ
ほんの少しの介護からの解放感と・・・
正直、少し複雑な気持ちがあったといえば親不孝者でしょうか?

そして、 まだできたことってあったんじゃないか?
なんて自問自答しています。

こんな私も既に50歳をとうに超えています。

同世代の友達や知り合いからから相続や介護の相談を受けると
かなりの方が、ささいなことで家族同士でトラぶっている!?
そんなことに遭遇するようになりました。

色々な家族には、色々な事情があるのはわかるのですが、 なんとか、みんな仲良く 介護や相続に向き合って欲しい!
そんなことを考えている私は、きれいごとばかりを言う理想論者かもしれませんね・・・・

でも、不可能なことではない!! と信じて、毎日仕事してます。

ここ数年は相続がらみの仕事によくご縁があるようになりました。

私の本業は不動産屋です。

以前からも相続がらみの案件はあったのですが、
自分自身 これは特殊な事例と思っていたのですが
さすがにこれだけ遭遇すると、そうもいえないなと考えるようになりました。

正直、相続・介護が原因の案件はもめている場合が多い!

ほんの一例ですが、良く遭遇するケースというと、こんなこともありました。

登記名義はお父さんですよね!お父さんは契約に立ち会えますか?」

登場人物A

「親父は老人ホームにいます。
 息子の私が全部手続きしますから大丈夫です!
 権利証も実印も僕が持っていますから!」!

相続対策専門士

「最終的にはお父さんの意思確認が必要になります。
 権利証や実印だけでは売買できませんよ!
 お父さんの売却の意思表示を確認できないと
 このお父さん名義の家を売る話はご破算になります!
 今から後見人を申し立ててても、とても間に合いませんねぇ」

売却の依頼を受けて、数ヶ月間 必死に営業活動した私の努力は水の泡に・・・・
既に支出した広告宣伝費用もパーです・・・

不動産の契約や決済の場で言葉も交わさない?目も合わせない?兄弟姉妹

たとえ運よく契約決済の運びとなっても、相続人全員が100%満足した結果ではないこともあります。主にその不動産売却金額の配分について不満があるケースが珍しくありません。

なんとも気まずい雰囲気でしなければならない契約や決済は、いくら 悪徳不動産屋?(笑)の私でも気持ちの良いものではありません。

あんなに仲の良かった兄弟姉妹がこれだけ仲が険悪になるなんて、亡くなったご両親は予想できたでしょうか?

しかし、「争いの原因が相続人である」とは必ずしも言えないような気がします。

せめてご両親のどちらかが
「これはこうしておいて!」
ただ、そんな方針だけでも残された子供たちに伝えていれば こんなにもめることもなかっただろうに・・・?
そう感じることが良くあるのです。

各自 好き勝手なことを言い出したり
「お父さんはこうして欲しかったと望んでいるわ!」と勝手な解釈をしたりと
それは、それは、修羅場なんです!

会社概要

相続・介護・遺言・エンディングノート以外でも、私の本業は不動産業者ですので、不動産に関することなら色々なアドバイスをさせていただいています。

また、仕事柄 弁護士・司法書士・税理士の方とのネットワークもございますので、幅広い問題にもご相談に乗らせていただきます。

おかげさまで、早 創業十数年
免許番号も5回の更新をすることができました。

「おまえんとこは全然儲かっていないけど、
 まあマジメにコツコツやってまんなぁ・・・」

と所属している宅地建物取引業協会より優良会員として表彰もされました。

名称 キーライフジャパン
大阪実家介護問題研究所
所在 〒577-0056
大阪府東大阪長堂1-10-24
TEL:06-6787-4055
代表 江本圭伸
設立 平成7年8月
宅建業者免許番号 大阪府知事(5)第63860号

アクセスマップ

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「親の介護」や「実家の相続」でお悩みのあなたに
実家相続介護問題研究所がお役に立てること

相続対策専門士

「おたくはなにをしている会社なの?」とよく質問されるのですが、
実家相続介護問題研究所|キーライフジャパンは
遠く離れた田舎で暮らす高齢の親を子供の近くへ引越しを勧める『老親の呼び寄せ』 や 親の介護費用捻出や円満な遺産相続トラブル解決のための『実家の売却』を専門としている不動産屋です。
「親の介護」「遺産相続」に強い不動産屋だからこそ「親の介護」や「遺産相続」で困っている?困るかもしれない?あなたにお役に立てることがあります。

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