年寄る扱いするなと怒る高齢の親

70歳~80歳くらいまでの親なら「まだまだ自分は年寄りではない!」とプライドだけは高いものだ

「小さな親切大きなお世話?」
これは他人に対してだけではなく、自分の親の場合にもあてはまるのです。
親自身の気持ちは「なんら昔と変わっていない自分!」という感覚
しかし子供から見れば「毎日毎日ハラハラ心配!」

一番難しいのは『いつ介助や介護を行うタイミング』ですよね

小説家・篠田節子さん…他人の世話拒む認知症の母と「母子カプセル」状態20年
認知症でも他人を頼れず
 小説家の篠田節子さん(61)は、約20年にわたって、近所に住む認知症の母(93)を支えています。「母は他人を一切受け入れず、介護サービスを利用できない。2人きりの閉じ込められた『母子カプセル』状態が続くのがつらい」と話します。

母が認知症と診断されたのは1998年頃です。ただ、その何年も前から、爆発的に怒り出したり、「誰かがうちを探っている」と妄想を口にしたりしていました。

 親類の葬式に普段着で行って「これでいいんだ」と主張するなど、常識外れの行動も目立ちました。認知症だろうとは思っていたのですが、受診を嫌がるので診断まで時間がかかりました。処方された薬も嫌がります。

 家族以外の人から世話を受けるのを拒みます。入院しても、看護師に「水を飲ませて」と頼むことすらできないので、私が病室に泊まり込まねばなりませんでした。ショートステイに預けた時は、一晩中「帰せ」と大騒ぎしたそうです。有料老人ホームなども探してますが、大金をはたいて入居させても戻ってきてしまうだろうと思うと、なかなか踏み切れません。

  昔から他人に心を許せない母は、一人っ子の篠田さんに執着した。「あなたの味方はお母さんだけ」と言われて育ち、結婚した時も、実家近くに住むように求められた。10代の頃から、そんな母を煩わしく感じ、「独立したい」と思ってきたという。

 自分で産んだ娘は自分のもの、支配するのが愛情と信じているタイプ。

何度も離れようと思いながらも、できませんでした。母の要望通り、自宅近くに就職し、結婚しても実家近くで暮らしています。

 いまは毎朝、私の家に来て、夕方まで一緒に過ごします。数秒前のことすら忘れてしまう状態なのに、私の家までの道は忘れません。夕方になると実家に帰りたがりますが、不安に襲われると頻繁に携帯に電話をかけてきます。仕事ができるのは、母が来る前の朝と、母が寝ている間ぐらいです。

 母は、身の回りのことは、自分でやっていると思い込んでいて、何かをしてあげようとすると激しく拒否します。

 粗相をして服を汚しても、自分でハンガーにかけて乾かしたり、裏返したりしてはくのですごい臭い。脱がせようとすると抵抗するので、家中のガラス戸を閉めて室温を上げます。暑がって服を脱ぎ捨てるのを待ち、「水浴びしようか」と風呂に誘います。その間に、汚れた服を回収して、そこに清潔な服をわざと脱ぎ捨てたような状態で置き、着替えるよう仕向けるんです。

 実家は、ほこりやら汚れ物やらでひどい状態ですが、掃除をさせてくれません。母が何かをしている隙に、汚れ物をビニール袋に詰め込み、気付かれないよう運び出して対応します。

  父は、母の代わりに家事などもしていた。しかし、3年前、買い物帰りに車にはねられて頭を打ち、意識混濁状態となった。7か月間の入院の末に息を引き取った。90歳だった。

 父も年齢とともに介助が必要になりました。ただ、父を気遣うと、母は「私よりお父さんが大事なのか」と怒るので、何もできませんでした。ある時、父がおかしな行動をとったので病院に連れて行くと、白内障でほとんど目が見えていないことが分かりました。医師から「なぜ放っておいたのか」と叱られました。

 事故で父が入院してからは、母を連れて病室に行きました。管につながれた父を見て、母は「病院が金もうけのためにやっているんだから、家に連れ帰る」と騒ぎました。父がいなくなって寂しかったのかもしれません。私は母の対応にばかり追われ、死に 瀕(ひん) する父をいたわったり、死を悲しんだりする余裕はありませんでした。

  2014年に「長女たち」を出版した。認知症の母を世話するため恋人と別れ、仕事を辞めた長女の苦悩を描いた。ディテールには篠田さんの実体験も反映されている。

 「長女たち」は小説なので、最後に救われる内容にしました。もし、リアルに描いたら、長女と母の2人の死体が発見されていたでしょうか。介護ストレスで病気になる人は身近にも増えていますし、介護殺人のニュースも後を絶ちません。国を挙げて推奨されている在宅介護の現実を知ってほしいです。

 風呂からあがって気持ちよさそうに眠る母を見るとき、「このまま逝ってくれれば、幸せだな」と思うこともあります。私が疲れてぐったりしていると、夫が「がんばれ。やまない雨はない。いつか必ずやむのだから、そしたら旅行に行こうな」と言ってくれます。唯一の救いです。いつやむのか分かりませんが、それまでは何とか健康でいようと思っています。(聞き手・宮木優美)

引用:ヨミドクター

親の介護スタートのタイミングは難しいです

できることはして欲しいしさせてあげたい?
これが理想ですけど日に日に衰えていく親の現状を見ていると不安になりますよね。

笑顔の江本

私の義母も最後まで自宅で頑張ってくれましたが、
・オーブントースターにパックのついたま魚を入れて煙だけになってしまった事件
・ゴミ出しに行ってすってん転んで骨折事件
などなどさまざまなことがありました。

介護認定も拒否していた僕の母

いやあ、私の母も他人からの介護を拒否していました。
僕には「あれせえ!これせえ!すぐにせえ!」と無理難題ばかり押し付けていたのですがまったく家族以外の他人の手助けは拒否して困らされました。
もちろん介護認定すら受けてくれなかったのです。

笑顔の江本

そこで
「なぁお母ちゃん 介護認定受けたら病院代がめっちゃ安くなるんやて!」
と説得したらなんとか介護認定も受けてくれました。
介護認定当日は張り切りすぎて少々困ってしまいましたが・・・(笑)

「他人の手助けする」という理由でデイサービスに行ってくれだしたT村さん

「デーサービス?あんなんよぼよぼの年寄りが行くとこやないか!」
とデイサービスに行ってくれないお母さんのことでお悩みのT村さんの娘さん。
お母さんはずっと自宅で独居でしたからお風呂や食事も摂れるデイサービスに行って欲しいと娘さんは思っていたのですが見学にすら行ってはくれません。
そこで娘さんと私が一芝居
「向かいの鈴木さんとこおばあちゃん、
 あそこのデイサービスに行ってるんやけどちょっと困ってはんねんて!
 お母さん 鈴木さんとこのおばあちゃんにちょっと一緒にデイサービスについて行ってあげて
 面倒見たってくれへん?」

と半分 嘘かもしれない猿芝居
もちろん向かいの鈴木さんのおばあちゃんは実際にデーサービスに行っていますけど少々認知症も重い状態ですからうまくコミュニケーションもとれないのでそんな嘘もばれないと思ったのです。

するとしぶしぶ
「もう、しゃあないなぁ・・・」
とT村さんのお母さんはデーサービスに無事デビューを飾ることができました。
お遊戯やゲーム・食事・友人との会話
いたってお気に召したようで
「いつも送迎バスの来る1時間前からきちんと真っ赤な口紅を塗って玄関で待ってますのよ(笑)」
とT村さんの娘さんからのメールに私も安堵の胸をなでおろしました。(笑)


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