「お世話になった恩師」「とても仲の良かった先輩や友人」の訃報を知った時、
「葬儀は近親者のみで執り行います」
という寂しい説明がよくあります。
最近の葬儀は家族葬もしくはごく小規模のお葬式がとても増えています。
そのためあれだけ
・とてもお世話になった恩師
・とても仲の良かった友人
に最後のお別れができないことも多いのです。
そこで葬儀に行けなかった人のために「偲ぶ会」「お別れの会」などで葬儀とはまた違った見送り方を考えてみてはいかがでしょうか?
偲ぶ会やお別れの会の開き方|お葬式は家族だけ、でも見送りはみんなで
恩師・先輩・友人の葬儀に行けなかったことを後悔しているのはあなただけですか?
家族なら最期の時期はわかります。
しかし、それ以外の人間にはそれはわかりません。
訃報はいつも突然知らされます。
・訃報を知ったのは葬儀後だった
・遺族の意向は家族葬だった
・どうしても葬儀の日時は仕事や家庭の事情で行けなかった
そんなやむおえない事情や理由で葬儀に行くことができなかった
そのことをずっと後悔してしまっている方も少なくありません。
それが自分一人なら後日ご遺族に連絡して弔問で心が晴れるかもしれません。
でもそれが
・恩師(部活の監督・熱血先生)
・交友関係の広い友達の多かった友人
ならきっとたくさんの方が同じような後悔の念をモヤモヤしたまま心に持っているかもしれません。
・・
家族とは異なる深い絆だからこそ葬儀とは別の「偲ぶ会・お別れの会」を開いてみんなで見送る
猛烈なシゴキで練習させられた鬼監督
人生の岐路で支えてくれた恩師
いつも目にかけてくれた先輩
同じ青春時代を過ごした友人
確かに亡くなって一番悲しいのはご遺族ですが、それとは別に家族とはまた異なる深い絆で結ばれている間柄ってあるものです。
自分自身も年齢を重ねてきたからこそ「その存在がいかに大きかったか?」は痛感するものです。
最後に一言だけでも感謝の気持ちを伝えたい
そんな望みをかなえてくれるのが「偲ぶ会」「お別れの会」なんですね。
「偲ぶ会」「お別れの会」といえば大きな会社の役員が亡くなった時の社葬のイメージがありますが、最近ではごく近い知人・友人のみで開催する「偲ぶ会」「お別れの会」も増えてきています。
やっぱりあれだけお世話になった、仲の良かった恩師・先輩・友人の死を受け入れるにはなんらかのケジメも必要なのではないでしょうか?
恩師・先輩後輩・同僚・友人の「偲ぶ会」「お別れの会」の開き方と注意点
いくら「偲ぶ会」「お別れの会」を開催したいといってもやはりご遺族の了解なしに行ってはいけません。
できれば代表の方がご遺族とよく話し合って「偲ぶ会」「お別れの会」開催のコンセプトや理由をしっかりと説明しておくことが大事です。
「偲ぶ会」「お別れの会」の開き方を手伝ってくれるイベント企画会社「ストーリー」という会社の紹介
親しい友人たちも「偲ぶ会」「お別れの会」を開催することに賛同してくれた。
でも、それを言い出した発起人には頭の痛い問題があります。
それは
・「偲ぶ会」「お別れの会」の会場選び
・「偲ぶ会」「お別れの会」のコンセプト(どんな「偲ぶ会」「お別れの会」にする?)
です。
では「偲ぶ会」「お別れの会」を開くにあたってどこに相談すればよいのでしょうか?
お葬式に近い形での「偲ぶ会」「お別れの会」にするのであればやはり葬儀社に相談してみるのもいいかもしれません。
でも、そんな堅苦しい「偲ぶ会」「お別れの会」を開きたいとは限りません。
「偲ぶ会」「お別れの会」は葬儀と異なり形式に縛られることはありません。
あくまで生前の故人や参加する友人知人との関係を考えて自由な「偲ぶ会」「お別れの会」も増えてきています。
「偲ぶ会」「お別れの会」を総合プロデュース会社Story(ストーリー)のご紹介
普通の葬儀みたいなものではなくもっと故人らしい「偲ぶ会」「お別れの会」を開きたい!
そんな方には「偲ぶ会」「お別れの会」を総合プロデュース会社Storyのご紹介したいと思います。
Story(ストーリー)の「お別れの会」「偲ぶ会」の例
悲しい?淋しい?雰囲気ではなく明るく笑いながら故人を見送ってあげる
そんな「偲ぶ会」「お別れの会」の一例です。
■野球好きだった父親の「偲ぶ会」 Produced bu Storu
みんな喪服ではなく平服で和やかな雰囲気ですね。なんと野球のユニホームで参列している方も(笑)
こうやって故人との思い出話に花を咲かせるのも亡くなった方への供養かもしれません。
「偲ぶ会」「お別れの会」を総合プロデュース会社Storyさんのホームページにはたくさんの「偲ぶ会」「お別れの会」の事例が掲載されています。
ぜひご参考にしてみてください。
友人・知人だけで「偲ぶ会」「お別れの会」を開くのもよいですが、こんな風にご遺族の方も巻き込んでの「偲ぶ会」もいいかもしれませんね。
きっと経験豊富なStoryさんならさまざまなアイデアを出してくれると思います。
例えばこんな屋外で、もはやここまでくると「お別れ会・偲ぶ会」というよりホームパーティにも感じる企画です。
「偲ぶ会」「お別れの会」での挨拶(弔辞)はどんな風に?
おそらく「偲ぶ会」「お別れの会は人生においてそうあるものではありません。
ですから「弔辞ってどんなことを話せばいいのか?」なんてお悩みになるかもしれません。
でも弔辞って「そんな堅苦しいものじゃなくても心がこもていればそれでいいんじゃないかな?」と私はおもっています。
まして「偲ぶ会」「お別れの会」なんですからね。
ご参考までに有名なタモリさんの故赤塚不二夫への弔辞をご紹介しておきます。
タモリ氏|故赤塚不二夫への弔辞
参考になるかもしれないので文字お越しをしておきます。
弔辞
8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です。
われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。』この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから私のマンションにいろ』と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては深夜までドンチャン騒ぎをし、いろんなネタを作りながらあなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをする時も、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたは全ての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことがありません。あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活全てがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このヤロウ逝きやがったな』とまた高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。
あなたの考えは全ての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになりまた時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。今、2人で過ごしたいろんな出来事が場面が、思い浮かべされています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外へのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅にちょっと高いところから、あぐらをかいて肘をつきニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義
淡々とした中、今までのことを思い出しタモリさんと赤塚不二夫先生とのつながりの深さがにじみ出ています。この弔辞の紙が白紙だったことも有名なお話です。
でもこんな名弔辞なんて凡人にとても無理です。(少なくとも私には・・・)
そんな弔辞に頭を悩ませているならこちらの記事もご参考にしてみてください。
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