実家相続介護問題研究所|キーライフジャパンの会社概要とプロフィール

はじめまして
実家相続介護問題研究所|キーライフジャパンの江本圭伸と申します。
不思議なご縁で出会うことができて光栄です。 こんな私ですが何か少しでもお役に立つことがあればこれ以上の幸せはありません。

会社概要

名称 実家相続介護問題研究所(相続・介護のコーディネート業務)
高齢者住み替え支援センター(老人ホームの無料紹介業務)
キーライフジャパン(不動産の仲介業務)
代表運営者 江本圭伸
【保有資格】
宅地建物取引士
不動産コンサルティングマスター
相続対策専門士
所在地 〒577-0056
大阪附東大阪市長堂1丁目10番24号

最寄り駅:近鉄奈良・大阪線「布施」駅北側徒歩1分
電話/FAX 電話:06-6787-4055 FAX :06-6787-4056

地道な私たちの活動がメディアにも紹介されるようになりました

たくさん失敗もしてきた私たちですが
「高齢者専門のおもろい不動産会社かあるらしい?」
とし徐々に知られるようになりました。
するといろいろなメディアから取材まで受けるようにもなりました。

週刊文春2018年1月31号 P132


私が介護や同居トラブルに詳しいとは少し恥ずかしい思いもありますが

毎日たくさんのご相談を受けているのは確かですね。(汗)

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女性セブン

産業情報化新聞社さま

プロフィール

みなさんはなぜ
弁護士でもない?
税理士でもない?
街の不動産会社が介護・相続のことについて語っているのか?
疑問を持ったかもしれません。
それは、
「私も高齢の親の介護に苦しんだこと 」
「日頃の仕事上で介護・相続と親の家である実家のトラブルに遭遇するから」

なんです。
ちょっと私の恥ずかしい体験についてもお話しいたします。

再婚同士の父と母(お互いに前妻・前夫に子供あり)

私は、昭和35年 高齢の両親の末っ子として大阪で生まれました。
今から考えれば 父が50歳目前 母も40歳目前にできた子供ですからかなりの高齢出産ですね。
(両親ともに大正生まれですので、既に今は亡くなっています。)
ただ、私の家庭は少々家族構成が複雑でした。
父も母も再婚同士であり、お互いに前妻・前夫との間に子供がいました。 父親の子供達とは幼少の頃に一度会った記憶はおぼろげにありますが、 ほとんど交流はありません。今はどこでなにをしているのか?さえも知りませんし、知りたくもありません。 連絡先すら知りません。子供の頃の私は決してそのことには触れていはいけない部分と感じていたので 詳しく訊ねたこともありません。
※今となれば「少しその当時のことも訊いておきたかったな?」と思います.
※まさにエンディングノートさえあれば、その当時のことも少しは書いてくれていたかな・・・?

一緒に同じ屋根の下暮らしていたのは、 8つ上の姉、3つ上の兄 そして両親の5人家族でした。 父はペンキ職人であり決して裕福ではないですが、 末っ子の私はなに不自由なく育ててもらいました。 姉や兄はそれなりの苦労があったようです。 借地で長屋(地盤沈下で床が歪んでいる)である私の実家にはお風呂がないので、 家族全員で銭湯に行ってましたけど・・・

父の肺ガン発症とあっけない最期の別れ

父は私がサラリーマンになりたての頃に肺ガンを患い、片肺を全摘手術を行いました。
父にはガンの告知はせず「お父ちゃん、長年シンナー吸いすぎたから肺が傷んだんやて!」ととってつけたような嘘をついていました。
その後父は仕事を辞めましたが、近所に兄が住んでおり孫の世話に生き甲斐を感じていたように思います。

その後、父はよく風邪をこじらせました。
片肺しか無いのですぐに肺炎を発症し、そのたびに実家からはかなり離れた関西医科大病院に緊急入院をしていました。 そんな父がまた風邪をこじらせました。 寒くなると何度も風邪をこじらせていた父でしたのでいつも通り病院に送り、私は会社に出かけました。(母と姉が付き添ってくれました) 当時は、自分で不動産会社を立ち上げたところで、私自身も必死でしたから 父を思いやる気持ちも不足していたのかもしれません。
病院の待合所のソファで苦しくて横になっている父に 「お父ちゃん 僕 会社に行ってくるなぁ!」 と声をかけ父と別れました。 父は声も出さずコクッと首を上下に振ってくれました。

その後 父はすぐに人工呼吸器をつけられました。 (人工呼吸器をつけると、麻酔で眠らされます。)
※父が肺炎をこじらせての入院ではいつものことでした。
親の死に目に間に合わなくても自分や他人を責めてはいけない|親の看取り

二週間後、父は一言も僕達家族と言葉を交わさないまま天国へ旅立ちました。

父はそのまま天国へ旅立っていきました。
人工呼吸器をつけられ眠っていたまま・・・・ ずっと意識のないまま・・・・・
面会に行ってもずっと眠ったままの父でしたから、「亡くなった」と医師より宣告されても全然実感がわきませんでした。
「えっ?先生 寝てるだけちゃいますのん?」
それが父の死に直面した私の感想でした。 父が亡くなった実感は亡くなってから時間が経ってからでした。

初めての身内の葬儀

私の家庭はほとんど親戚づきあいも無く、頼りにできる人もなく姉と兄とあたふたと葬儀を済ませました。
※今から考えると「兄弟がいて助かった!」と実感しています。 1人っ子の方はさぞ大変だろうかと・・・

この時が身内の葬儀は初めてだったので 「葬式ってこんなに大変なんだぁ!」 と初めて実感したんですね。

その後は母との二人暮らしが長らく続きました。
姉も兄もすでに結婚して所帯を持っていましたし、 なにより私には気楽な母との同居が一番快適でした。 しょっちゅう喧嘩ばかりしていましたけど。
(母に会社経営の苦しさ・辛さなの理解できませんし、いつまでも子供は子供ですから・・・)
父が亡くなり、母と二人きりの生活はその後何年も続きました。 この生活が一変するなんて想像すらしていませんでした。

そんな時 突然・・・・

今度は母が脳梗塞に

「ちょっとお母ちゃんが喋り方がおかしいから 近所の病院に連れて行ってくる!」
たまたま実家に立ち寄っていた姉から私の携帯電話に連絡がありました。 私は不動産の売買契約中で、ほとんど会話もせず電話を切りました。 姉は家の子供たちの食事もあるのでとりあえず自分の家に帰らなければならず 契約を済ませた私はあわてて病院に駆けつけました。

母は長い時間をかけて点滴を受けていたようです。
眼を開けた母は、ろれつもまわらない口調で
「こここ・・・ここどこやぁ!」
「なんで ううう・・う・・うちはここにおるんや?」
と変な質問をしてきました。
母は 脳梗塞を発症していたようです。

その後 母のリハビリ生活が始まりました

母は大きな病院にすぐに移り、治療を受けました。
その後 リハビリ用の病院に転院し約半年ちょっとで自宅に戻れました。

幸い軽い後遺症程度で済み、ほっと胸をなでおろしました。

しかし事件が起こる!実の娘と大喧嘩!

それからは、身体の不自由なストレスからか? 母も感情の起伏が激しくなりました。
※以前からかなり強烈な母でしたが、以前にまして激昂することも珍しくなくなりました

母の度重なる癇癪(かんしゃく)でさすがの姉も音をあげ大喧嘩に

母の度重なる癇癪(かんしゃく)に姉も音を上げ、ついに大きな喧嘩が起きてしまいました。
今から考えれば認知症の典型的な初期症状だったかも?でも当時の私はそんなことはわかりませんでした。
食事の世話は姉がしてくれていたのですが、 母は喧嘩のあてつけに姉が用意してくれたその食事も摂らずハンガーストライキに突入してしまったのです。
母と姉のバトルは長引き、私は仕事のあいまに母の好物を差し入れするくらいしかできません。
いつもどおりリハビリ前の前夜には実家に泊まる私でしたが
「眼が見えへん!真っ暗や!」
と突然訴えたのです!

その後、トイレから出てきませんでした。
うちのオンボロな実家のトイレは狭い。
その便座にうずくまったままの母をそこから救出 連れ出すのも大変でした。
「げぇぇ!また脳梗塞再発か?」
慌てて救急車を手配し、病院へ!
幸い脳梗塞ではなく、低血糖が原因だったようです。
食事も摂らずに、きつい糖尿病の薬を飲んでいたために低血糖に陥っていたようです。
『もぉーーーっ!心配させてぇ!』
と深夜の病院で医師からの説明を受けた私達はホッとしました。

眼を覚ました母はわけのわからぬことを言い出した(せん妄)

病院で眼を覚ました母はあきらかにおかしな様子でした。
幻覚を見ているのか? わけのわからないことを言うのです。
点滴のチューブも何度も勝手に外すので、血だらけの腕のままベッドの手すりに縛られてしまいました。なんかキャッチャーミットみたいな手袋もつけられて・・・。

医師に質問すると 「せん妄と思われます!」と言われました。
「せ・・・せ・・・せ・・ん・・も・・う???」
高齢の方がショックを受けると一時的に認知症になってしまうとのことでした。
「先生 元に戻りますよね・・・?」
神にも祈る気持ちで、そう質問すると
「戻る方もいれば、そのまま認知症になる方もいます。」
となんともつれない返答が返ってきました。

その後 母はあっちの世界(認知症)にいることが多くなりました

転院を何度か繰り返し、母の認知症がその度にひどくなりました。
ただ、たまーーに普通に戻り、しっかりしたりもするのです。 そんな時には僕の知らなかった昔の事も話してくれたりもしました。 昨日のことなど何も覚えていないのに昔のことは鮮明に覚えているから不思議です。
その時は本当にうれしいのですが、翌日にはまたトロンとした目つきに戻り・・・(涙)
時には何を話しかけても無反応に・・・(涙)
あれだけ気丈で冗談ばかり言っていた母がこんな風になるなんて
正直 大きなショックを受けました。

そんな生活 かなり長く続きました。
正直 介護の大変さを身に染みて実感しました!
頭では理解していても、現実はそれをはるかに想像を超えていましたね。

その後、母は天国へ旅立ちました。

僕にとって、母を失った
大きな悲しみと
ほんの少しの介護からの解放感と・・・
正直、少し複雑な気持ちがあったといえば親不孝者でしょうか?

そして、 まだまだお母ちゃんにはやってあげれたことってあったんじゃないか?
なんて自問自答しています。
こんな私も既に60歳目前のすでに初老の域に?
同世代の友達や知り合いからから相続や介護の相談を受けます。
するとかなりの同世代の友達が『ささいなことで家族同士でトラぶっている!?』そんなことに遭遇するようになりました。
色々な家族には色々な事情があるのはわかるのですが、 なんとかみんな仲良く介護や相続に向き合って欲しい!
そんなことを考えている私は、きれいごとばかりを言う理想論者かもしれませんね。
でも、不可能なことではない!! と信じて、毎日仕事してます。

ここ数年は相続がらみの仕事によくご縁があるようになりました

私の本業は不動産屋です。
以前からも相続がらみの案件はあったのですが、自分自身 これは特殊な事例と思っていました。でもさすがにこれだけ遭遇するとそうもいえないなと考えるようになりました。

正直、相続・介護が原因の案件はもめている場合が多い!

ほんの一例ですが、良く遭遇するケースというと、こんなこともありました。

登記名義はお父さんですよね!お父さんは契約に立ち会えますか?」

実は私は不動産売却のご依頼を受けたときに媒介契約書と免許証などの身分証明を確認させていただいています。 それはこんなことがあったからなんです。
売却依頼を受けて購入希望者がやっと見つかりすぐにでも契約しようかという段階で・・・

親が老人ホームに入っている子供老人ホームに入っている親の家の売却を考えている息子

「登記は親父名義ですよ
 親父は老人ホームにいます。
 息子の私が全部手続きしますから大丈夫です!
 権利証も実印も僕が持っていますから!」!

相続対策専門士江本実家相続介護問題研究所|江本

「最終的にはお父さんの意思確認が必要になります。
 権利証や実印だけでは売買できませんよ!
 お父さんの売却の意思表示を確認できないと
 このお父さん名義の家を売る話はご破算になります!
 今から後見人を申し立ててても、とても間に合いませんねぇ」

売却の依頼を受けて、数ヶ月間 必死に営業活動した私の努力は水の泡に・・・・
既に支出した広告宣伝費用もパーです・・・

恥ずかしながらたくさん失敗してきました

正直、最初は「相続」「介護」について認識も浅くたくさん失敗しました。

せめてご両親のどちらかが
「これはこうしておいて!」
ただ、そんな方針だけでも残された子供たちに伝えていれば こんなにもめることもなかっただろうに・・・?
そう感じることが良くあるのです。
各自 好き勝手なことを言い出したり
「お父さんはこうして欲しかったと望んでいるわ!」
と勝手な解釈をしたりとそれは、それは、修羅場なんです!

「親の介護」「老人ホーム」「相続」「実家の売却」のトータル相談窓口としていろいろなサービスをご提供しています

『実家の相続』や『親の介護』や『老人ホーム選び』は百人いれば百通りの考えがあります。
できれば"ご家族みんなで話し合って決めるのが一番ですから無理に私にまで相談する必要はありません。
でも、なかなかひとつの結論を見つけることは難しいのが現実です。
ですから、どうしても「問題解決の糸口が見つからない?」という方だけご相談してください。悩んでいること?迷っていること?を私と一度お話しませんか?すべての選択肢を考え抜いてからでも結論は遅くありませんし焦って決断すると大きな後悔をするかもしれません。必ずしもベストな結果はお約束できませんがよりベターな結論を出すお手伝いならできます!


まずはお気軽にお問い合わせください!

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