危篤の知らせを受けて病院に駆けつけると・・・・
すでに意識はないかもしれません。
臨終(看取り)|親が息を引き取る瞬間はごくわずかでしかないのです。
ご家族が息を引き取る瞬間は、
一切気を遣わず、看取りに集中しましょう。
最期の別れをするための時間の共有はもう限られているのです。
でも、いろいろな理由で親の死に目に会えないことも覚悟しなければいけません。
仕事・家事などで子供が親の死に目に立ち会えないことも少なくない
これから旅立つお父さんお母さんに、
ただ寄り添っていてあげる
それで十分な看取りといえるのではないでしょうか?
この世から旅立つ親の横に一緒にいてあげることが
なによりの看取りだと
私は考えています。
でも仕事や子育て家事があればずっと最期が近い親に寄り添ってあげていることもできません。
まして遠く離れて暮らしていればなおさらです。
悲しい現実ですが、お父さんお母さんの身体が暖かいのはごくわずかな時間だけ
私の母の場合もそうでしたが、
自分自身 母との別れという現実をすぐには受け止められませんでした。
他の兄や姉と違い自営業の私は時間の融通が利きました。
また、最後まで母と同居生活だったので毎日病院に顔を出していました。
そんな時に看護師さんから
「今夜はご家族の誰か病院にいてもらえませんか?」
そんな看護師さんからの申し出に
確かに「いつなにがあってもおかしくありません!」と医師から宣告は受けてはいましたが
「もぉ-いつもとそんなに変わらないにぃー?」
とそんな風に考えていました。
看護士の申し出通りに私が病院に泊まることにしました。
そして朝方、容態が急変しました。
幸い兄は出勤前の朝5時過ぎに病院に顔を出してくれました。
兄が来たことで安心したのかその時を待っていたように急変したのです。
「すぐにご家族を!」と看護師さんに言われ
病院に泊まった私は(一睡もできませんした)慌てて姉に連絡しました。
残念ながら姉は親の死に目に会えませんでした。
兄が来た瞬間に、母はカッと目を一瞬だけ開けました。(不思議です・・・・)
それだけが救いです。
私は、駆けつけた兄姉との別れをしているのを横で呆然と見ているだけでした。
「お母ちゃん!お母ちゃん!」と
何度も何度も話しかけて、手を握りました。
本当にまだ眠っているだけのようでした。
医師から死亡の宣告を受けても
「違う違う!寝てるだけやん!」
とこじつけの理屈を自分に言っていました。
母は安らかな顔をしていました。
恥ずかしながら、私はただあたふたと狼狽し動揺していました。
しかし、臨終を迎えた人の身体は1時間ごとに1度ずつ下がっていくそうです。
自宅や安置施設に運ばれた後では、遺体は冷たくなってしまい
生きていた時の暖かさは感じられなくなります。
ですので、別れの瞬間は貴重な時間です。
しっかりと故人とのお別れを惜しみましょう。
暖かい身体の間に
眠っているような状態で話かけられる時間は限られているのです。
「親の死に目に会えない」が親不孝なことである本当の意味
「遠く離れていて親の死に目(臨終の)場に立ち会えなかった・・・」
「親の死に目に立ち会えなかった・・・」
という罪悪感に苦しまないでください。
「親の死に目に会えない」ことが親不孝であるという本当の意味は?
とかく世間では
「親の死に目に会えない」ことをすごく親不孝なことだと考えている方がほとんどです。
しかし、本当の「親の死に目に会えないことが親不孝であるという意味」は少し違うようです。
「親の死に目に会えない」ことが子供のする最大の親不孝である本当の意味は
子供が親より先に死んで親の死に目に会えない
ことだそうです。
僕も間違って解釈していました。
病院などから遠く離れていた場所にいて、死に目に会えなかった。
急に容体が急変して臨終の場に立ち会えなかった。
もし、そんなことになってしまったとしても自分を責めないでください。
また、家族の誰かが臨終の場に立ち会えなかったとしても
「どうして急いで来なかったの!」
と責めるべきではないと思います。
看取りとは、
ただ臨終の場に立ち会うこと
ではないと思うのです。
医師から余命宣告を受けた段階から
看取りは始まっているとも思います。
ですから、
「その時」が訪れるまで
看病やお見舞い、思い出旅行など
故人との過ごした時間の共有の全てが看取りではないでしょうか?
息を引き取った後においても
ご遺体を対峙して静かに時間を過ごすことでも
十分 看取りに参加されていると思います。
臨終の瞬間は一瞬だから、それよりも大切なこと
「臨終の場に立ち会えなかった・・・」
「親の死に目に間に合わなかった・・・」
それをすごく後悔されている方も多いのです。
また、
「あんな親不孝者はいない!」
「仕事と親とどっちが大切なんだ!」
と、臨終に立ち会えなかった家族を他の家族がずっと責め続けていることもあります。
しかし、
それはきっとやむを得ない理由があるからなのです。
人にはそれぞれ事情があります。
親の死に目に会いたくない子供などいません。
だから、そのことを責めないでください。
そんな後悔をしないために、ご両親や身内がご存命のうちにできるだけのことをしてあげる。
時間の許す限りお見舞いに行く
遠方ならばメッセージを送る、手紙を送る
ほんの少しでも寄り添う努力をしていれば、
それだけでも旅立っていってしまったお父さんお母さんは
そのことを十分 感謝されているのではないでしょうか?
親の死に目に立ち会えなくても後悔しない親の看取り
私も父と母を見送ってから数年になります。
「果たして、それが100点満点だったのか?」
それは今もわかりません。
泣き虫の私はいつも、ふと思い出しては涙ぐんでしまいます。
まだ、あの病院にいるような気がして・・・
実家に帰れば「お帰り!」と声が聞こえるような気がして・・・
父も母も亡くなってから、もうだいぶ経つのに未だこんな錯覚があります。
どこで看取りをするのか?
どこまで延命治療をするのか?
それは私にどうのこうのアドバイスなどできません。
ただ、やっぱり最後は子供達 そしてご本人の考え方(死生観)によるものだと思います。
でも、やっぱり家族に看取られるのが理想だとは考えますが、
なかなかこれが現実的には難しいです。
一度、この動画をご覧になってみて
親の看取りを考えてみてはいただけないでしょうか?
年端もいかない子供を臨終の場に立ち会わせることの是非
臨終の場に子供を立ち会わせるべきか否か?
については賛否両論です。
あなたはどうこのテーマについて考えますか?
年端もいかない子供を臨終の場に立ち会わせることの是非
少し難しいテーマですね。
幼い子供は、大人が泣いているのを観て、つられて泣いているだけかもしれません。
しかし、
人間にはいつか死が訪れる
という現実をしっかり認識できる貴重な機会かもわかりません。
このあたりはいろいろな考え方もあると思いますが、先の動画も参考にしてみてください。
私自身は大阪で生まれ、大阪で育ちました。
少々ワケありの両親でしたから、それほど親戚つきあいはありませんでした。
ですので、親戚のお葬式に出ることはあっても、そこに至る経緯などはわからず
ただ参列していただけのように思います。
正直、涙はあまりでませんでした。
しかし、いざ自分の身内に死が現実になった時には、
その現実をなかなか受け入れることはできませんでした。
そんなこと、テレビドラマの世界しか経験したことがなかったからかもわかりません。
夫や妻の看取り
長年 一緒に暮らしていれば愛だの?恋だの?という感覚はもはやないかもわかりません。
しかし、『親の看取り』以上に辛いのはこの配偶者(妻・夫)の看取りかもわかりませんね。
いずれ、私もその経験をさせるのか?経験するのか?はわかりませんが
その時にはどんなことをしてあげられるのでしょうか?
どんなことをして欲しいのでしょうか?
この動画を観るといつも涙がこぼれます。
母がもう危ないと言われてから数日間、仕事を抜け出しては何度も何度も病院に行きました。
意識のない母に
「おかあちゃん!僕やでぇ!伸ちゃんやでぇ!
伸ちゃんが来たんやでぇ!」(お願いやから返事してぇなぁ・・・)
と大きな声で母の手を握り語りかけたものです。
すると、意識の無いはずのおかあちゃんがニコッとかすかに微笑んだのは私の錯覚だったかもしれませんね。
僕が看取りをされて見送れるなら
「めちゃくちゃ悲しんで欲しい!」
「いっぱい泣いて欲しい!」
そして、しばらく時間が経ったなら
「私のバカでおっちょこちょいなことを思い出して笑ってほしいものです!」
あなたならどんな看取りをして欲しいですか?
あなたのご両親はどんな看取りをして欲しいと考えているのでしょうか?
「これで良かったんだ!」と子供が親の死に目に対する覚悟と準備
実家売却や子供の近くに親を呼び寄せる専門の不動産屋である私でも、80歳を超えた高齢の親御さんに引越しを無理強いするのは心が痛みます。
ですから『人生の最期は住み慣れた自宅で』という選択も致し方ありません。
危篤状態になった親の最後を静かに見送るために子供が心の中で覚悟しておくこととは?
今は核家族が進んできています。
親と同居して暮らしている子供は本当に少数派です。
親戚づきあいも本当に希薄な関係でしかありません。(誰かの結婚式やお葬式にたまに顔を合わせる程度では?)
そこで問題なのは『人間の死』に接することがあまりありません。
ですからいざ親の死が現実になてくると、とてもそのことを受け入れられなくなるのです。
無理やり命を延ばす延命治療を考える前に
どうしても・・・
どうしても・・・
親が死ぬなんて受け入れることはできないのは理解できます。
私も母がいよいよ最期の時が近づいてきた時にも奇跡を信じてしまいました。
ただ、お医者さんから「延命治療はどうされますか?」と質問された時には思わず言葉が詰まってしまいました。
「ほんまに、ほんまに、ほんまにお母ちゃん 死んでまうんやろか?」
と現実を受け入れられませんでした。
最期の親の望みをかなえてあげるべきか?
「食べたい物?」「自宅に帰る?」
病院の母が「家に帰りたい・・・」と訴えていた時には心がすごく痛んだものです。
とても帰らせることができる状態ではありません。
また味気ない病院の食事、満面の笑顔で「はぁぁお腹いっぱい!もう食べられへんわ!」というくらい好物を食べさせてあげたかったです。
※とても食べられる状態ではなかったけれど・・・(涙)
最期が近い親を持つ子供さんに観て欲しい映像を紹介します
いずれ辛い決断をしなければいけない時が必ずやって来ます。
その時に備えてこの映像を観て一度真剣に考えてみてはいだだけませんか?
生きているうち、元気なうちにするのが最高の親孝行かも?
私も父や母を見送ってからは後悔がたくさんありました。
「なんで、あの時 ああしてあげへんかったんやろう?」
「あそこにも連れて行ってあげたらよかった?」
「あんなに好きだった◎◎、もっと食べさせたかったなぁ?」
などたくさんの後悔ばかりです。
でも、タイムマシンに乗って少し前の過去に遡ることができても、きっと同じことをしていると思います。
だって、みんな忙しいし、そこまで気配りができないものですからね・・・
そんな後悔をずっと引きずっている子供さんからのご相談もたくさんあります。
でも、親の最期の望みを100%完璧にかなえてあげることなんて不可能ですから仕方ないことなんですよね・・・。
みんな親の死に関して少なからず後悔や懺悔の気持ちはあるものだから
僕自身、お父ちゃんやお母ちゃんとの別れに関しては、やっぱり後悔はあります。
友人や親戚からは
「大往生やん!」
「よう介護 頑張ったなぁ」
と慰めやねぎらいの言葉をもらいました。
でも、見送る子供としてはやはり
「もっとこうしてあげたらよかったかぁ・・・」
「あの時の決断は正しかったんかなぁ・・・」
と後悔や懺悔の気持ちはありました。
だから、いつも亡くなってしばらくのお墓参りの時に
「お父ちゃん 親不孝な息子でごめんなぁ」
「お母ちゃん もっと長生きしたかったかぁ?」
なんて話しかけていました。
その時にお父ちゃん お母ちゃんは
「かまへん かまへん」
と答えてくれている気がします。
親の看取り|実親の死に目に立ち会えなかった原因を誰かのせいにしてはいけない
『あれで本当に良かったんかなぁ・・・』
これは親の看取り、死別を経験した子供なら誰でも考えることです。
でも、結局それ以上のことはできなかったんじゃないかな?
というのが現実だと私は自分に言い聞かせています。
親の看取り、死別の精神的ショックは子供にとって相当大きいし、
とかく自分を責めてしまうものです。
でも親の最期の死に目に会えなかったことだけで今まで子供自身がしたことを全否定はしなくてもいいと私は思います。
私もかなり親の最期の看取りに関しては自責の念があります。
あの時、もっと仕事を早く切り上げていれば・・・
あの時、もっと話しかけていたら・・・
そんな思いが断ち切れません。
でも、タイムマシンにでも乗って
もう一度あの時に遡ることができたとしても、やっぱり同じ結果になっているんじゃないかな?
と思っているんです。
「親と遠く離れているところで暮らしてる子供(遠距離介護)」
特に両親のどちらかが先立って片親いなってしまった親の場合は特に悔いが残ってしまうかもしれません。
私も父が亡くなって、母親がひとりになってしまってからかなりの時間が続きました。
だんだん身体も弱くなっていったし、二度の脳梗塞で麻痺も出てきて最後は認知症の症状もかなり出てきてしまいました。
お医者さんからも「いつなにがあってもおかしくない状態ので覚悟はしておいてください」と言われてからも、母は何度も奇跡の復活をしたものでした。
しかし、いつかはそれも終わってしかうものなのですね。
確かにあの時 ああしていれば?と後悔もしてしまうことばかりですが・・・
今は延命治療などの医療技術もすごく進歩していて、お医者さんから余命宣告されてからが結構長い期間にわたって介護しなければいけません。
私も母が医師から
「いつなにがあってもおかしくない状態なので、覚悟はしておいてくださいね。」
と宣告されてから、携帯電話が鳴るといつもドキッとしたものです。
しかし、仕事を全部放り出して、24時間つきっきりというわけにもまいりません。
だから、親の死に目に必ず立ち会わないといけない?というのは少し子供にとっては酷なことです。
だって子ども自身にも仕事や家庭があるのですからやむおえないことじゃないかな?
それにもう会話もできない状態がずっと続いているのですからお別れはまだ息をしている状態でも話しかけてあげることでできるのではないでしょうか?
きっとそのことはお父さんもお母さんも理解してくれているのでは?
と私は考えていますが、いかがでしょうか?
よかったらこちらも目を通してみてください。
もし少しでも親の死に目に立ち会えなかったことに後悔しているのならほんのが少しだけでも胸のつかえがなくなるかもしれません。
ほんとうに大変で辛かったのは親のほうかもしれないのですから・・・(涙)
親との最期の別れが近いあなたに辛いアドバイスですが親をきちんと見送る準備をしましょう
親の最期が近いことが現実に近づいてきているあなたには辛いアドバイスですが
最悪の事態を想定しておいて欲しい
ことなんです。
そうです。
お葬式のことです。
余裕のある今ならまだゆっくりと比較検討もでもできるのですが、これがいざとなった時には冷静な判断も難しく後で後悔もしてしまいます。
あなたがもしも無理ならば誰かに任せておくこともいいかもしれません。
とりあえず資料請求だけでもしておくことをおすすめします。
今はコロナの影響もあり小さな家族葬が人気です。
今まで「親が死ぬ?」なんて一度も考えたことなんてなかったことでしょう。 「生きているものはいつか死ぬ」 そんな簡単なことも、頭ではわかっていてもまさか自分の親には当てはめることはできないのです。 でも ・親に大きな病気が …
先週、父を亡くしました。「死に目」に間に合わなかったクチです。生前は思春期そのままに反発してましたが、いざ亡くなり不思議と涙が出ませんでした。多分、「間に合わなかった」事が引っ掛かっていたのでしょう。動画を拝見し少し落ち着きました。ありがとうございました。
この度はご愁傷様でございます。
心より、お悔やみ申し上げます。
私も若いころは親との確執もたくさんありました。
しかし、両親を亡くした後 自分も年をとってくると親の気持ちが少しは理解できるようになりました。
これから、親が亡くなったという現実が日を追うごとに実感し悲しみが何度も繰り返すかもしれません。
※私がそうでした。
どうか、お気を落とさずに前進してまいりましょう!
一昨日18日の朝、最愛の母は旅立ちました。前日の晩に危篤の知らせを受け、夫と私は病院へ駆けつけました。仮眠室で3時間ほど眠り、5時には母の部屋に詰めていたのですが、9時ごろ、亡くなるのを待っている息苦しさに疲れ、一度家に帰りました。すると10時37分に亡くなったと兄から連絡があり、急いで病院に戻りました。もう葬儀社の車が来ていて、私を待っていてくれました。
いつ息を引き取るかなんて、神様しかわからないのだから仕方なかったけど、危篤だったのに家に帰ってしまった自分が許せず、苦しんでいます。
キューちゃんママ様
この度はご愁傷様です。
心よりお悔やみ申し上げます。
私の母の場合、看護師より家族の誰かが泊まっていてくださいといわれました。
兄や姉は仕事や家事のこともあり私が宿泊しました。
幸い兄が早朝仕事に行く前に病院に立ち寄り、
それを待っていたかのように母は旅立ちました。
残念ながら姉は立ち会えませんでした。
でも、それを誰が責める事ができるのでしょうか?
私は看取りとは
余命宣告されてから・・・
大病を発症してから・・・
と考えています。
ですので、死に立ち会うことだけが看取りではないと考えています。
「反応が無くても聞こえていますから、声をかけてあげて下さい」
と看護師さん言われて
意識の無い母に兄と姉と私は一生懸命声をかけていました。
それだけでもよかったと感じています。
どうか自分を責めないでください。
あなたが亡くなったお母さんなら、ぜんぜんそのことなんて責めないと思います。
今、こんなことを書いている私も数年前のことが思い出されて
ちょっと涙ぐんでしまっています。
昨年12月、夜中に一人で旅だってしまった父を恋しがっていた今、こちらに引き寄せて頂きました。
朝に姉から連絡があり実家に着いて
突きつけられた現実は 冷たくなった、既に死後硬直が始まっていた父との対面でした。
パパっ子であり
溺愛してくれていた父との別れを
正直、まだ納得はできていません…
ですが
実家に往く度に
『いつも、るみちゃん、あんたは
よう頑張ってるよ!』…と
無条件に褒めてくれていた父の存在に
感謝する日々です。
先日、父が夢に出てきてくれました。
『会いたかった!お父さん!』と
抱きつくと、父も『ありがとう!』と
抱き締めてくれました。
そして、夢から覚めると
渡しの手に、父の背中の感触が残っていたのです。
それから、少し
救われた気がします…
父に会えなくなって、半年…
誕生日、父の日
イベントに、父と会えない日が
これからも続くのかと思うと
寂しいですね…
こちらに
辿り着けて良かった…
ありがとうございましたm(__)m
rumikoさん
コメントありがとうございます。
不思議ですよね?
私も母が夢に出てきます。
もう何年も前なのに・・・
もう今は実家は甥が住んでいて、母はいないのに
訪ねたら「お帰り」と母がまだいる感じがします。
また、不思議と独りごとのように亡き母と会話もしたりしています。僕って少し頭がおかしいですかね?
rumikoさんも何度もこれからお父さんのことを思い出し機会もあるとおもいます。
そんな時には、お父さんと会話している気持ちになると思いますが
きっとrumikoさんを見守っているからではないでしょうか?
これからも頑張ってください。
おはようございます。
ご丁寧な 有り難いお返事を
本当に ありがとうございます。
おかしくなんて ありません。
親の存在の大きさ、愛してくれた日々が
それだけ深かったという事ですよね…
ただ不思議なのは
亡くなる前より
今は もっと父を近くに感じています。
元々興味のあった スピリチュアルな世界
でしたが
今は 父が傍にいて力を貸してくれているんでしょうね…
今は
お心を癒すお仕事もさせて頂いております。
導かれたお仕事として
これからも 誰かのお力になれたらと
思っております。(^-^)
江本様も どうぞ
日々健やかにお過ごし下さいますよう…
心から
ありがとうございます。
失礼致します。
私は今年1月5日に父を亡くしました。79歳なんて早すぎるし、看取る気持ちの準備すらできていないまま旅立たせてしまった事が悔やまれました。幸い12月22日の誕生日と正月に届いた自分宛の年賀状に目を通し、大きな節目を無事迎えられた事が唯一慰めになったと思います。
そんな悶々とした中、棺で見た父は実に穏やかで、満ち足りた表情を見せてくれました。生前にも見せた事がない満足な表情を。
父は自分の人生を納得し受け入れて旅立ってくれたのだと確信しました。
私は親を看取る事が最大の謝意であり、子の務めだと信じています。でも先の事はわからず、その瞬間なんて想像の世界です。正直、胸を張って大きな事は言えません。
看取る事の意味を一瞬に見出すだけでなく、残された日々に積み重ねる考えも許されるのではないでしょうか。
Y・Kさん
コメントありがとうございます。
私も看取りは最期の一瞬のことではないと考えています。
親が高齢になって、もしかするとひょっとすることがあるかもしれない?
そんなことを子供が考え出したときからが看取りでは?
と思います。
僕もできるだけのことはしたという想いと
もっとできたんじゃないか?という自責の想いと
複雑です。
でもこれは誰もが感じることだと想います
お返事ありがとうございます。
ここで多くの体験談やお返事を拝読させて頂き、気持ちが安らいだ思いがします。
見取りには様々な事情や環境があって、それぞれの看取りがある事も知りました。
先々において、自分にどのような務めが用意されているのか、そのすべてを推し量る事はできなくとも、きっと悔いを残す事なく最期の時間を過ごす事ができるでしょう。
この場のご縁も、自分にとって得を積むきっかけとなりました。
本当にありがとうございました。
はじめまして、検索をしていて辿り着きました。
親のことではなく恐縮ですが、約一ヶ月前、祖母との別れがありました。
私は幼い頃に父を亡くしており、その後、母の里で、祖母・母と三人で暮らしていましたので、
祖母は、私にとって、親のような大切な存在だったのです。
高齢(101歳でした)のわりには元気だった祖母も、食欲が落ちてきている…
と聞いて、ずっと気になっていましたが、
嫁ぎ先の県外からなかなか帰省できず… 入院したと知って
翌日の帰郷を決めた日の深夜、祖母は病室で息を引き取り、
間に合いませんでした。
最期をみとれなかったことはもちろんですが、入院するより前、
ちょっと元気がなくなってきているかな… と言われていたころに
無理矢理にでも帰省していたら、と、とても悔やんでいます。
みとる側として、最期の瞬間に間に合うか・間に合わないか、だけでなくて、
人生のラスト、大事な人たちに囲まれて、「ありがとう」などと
美しい言葉を残して逝けるのかどうか…?
そんなドラマのようなシーンが展開されることは、実は確率的にそんなに高くないのでは?
などと考えて、自分をなぐさめようともしていました。
いずれは、実母や義理の親などのことも出てくると思います。
時間をみつけて、サイト内を拝見していきたいと考えております。
小波さん
こめんとありがとうございます。
どうしても最期の瞬間に立ち会えない方も多く、みなさん自責の念にかられたご相談やお悩みもたくさんいただいています
少しでもそんなお気持ちを和らげることができたらと思い
この記事を書きました。
母が亡くなって8年になりますが、未だに最期の瞬間に立ち会えなかった事を後悔していました。
1時間前まで病院に居たのになぜ帰ってしまったのか、母1人きりにしてしまった事を今もずっと悔やんでました。
何年たってもその事がひっかかり、たまに気分が落ちてしまいます。そんな時このサイトに出会いました。
文章を読みながら当時の記憶が蘇り、涙を流しながら最後まで読ませていただきました。
少しですが、最期に立ち会えなかった気持ちが楽になったと思います。
ここのサイトにもっともっと早く出会ってれば…。
ずっと後悔していた気持ちを楽にしてくれてありがとうございました。
のん子さん
コメントありがとうございます。
私も父の時には、そんな状況でした・・・
会社を立ち上げた時でもあり、肺がん(片肺全摘出)で肺炎で苦しむ父を大学病院に送り、待合室のいすで苦しそうに横になる父を母と姉に任せ
「お父ちゃん、ほなボク会社行って来るなぁ・・・」
軽くうなづく父
何度も肺炎で病院に連れて行っていたのでまさかそれが父との最期の会話になるとは・・・
その後、すぐに人工呼吸器をつけられてずっと眠ったままで父は逝きました。
私もそんなことが今も心につっかえているものがあります。
でも、それに似たようなことをたくさんの方が経験されているのを知りました。
それでこんな記事を書いたんです。
きっとお母様ものん子さんのことを理解してくれていると思います。
余りにがっくりきてしまい、皆さんは親の死をどう受け留めていらっしゃるのだろうと検索したところ、このサイトに辿り着きました。
2週間ほど前に父を亡くしました。
8年前に亡くなった母の時も死に目に合うことはできませんでしたので、心に引っかかっていましたが、サイトを拝見して少し心が楽になりました。
葬儀や入居していた老人ホームの部屋の片づけを終えて、私は自分の予想以上に心身ともにがっくりきてしまい、何かをしようと言う気が起きません。突然逝った母の時とはまた違った感情で、山積する家事、仕事にどう手を付けていいのか分からない感じです。
動画を拝見し、父も一年ほど胃瘻をしていましたので、同じだなあと思いました。殆ど喋ることもせず、寝ていることが多くなってもベッドサイドに行き、手を重ねると私が癒されているのが分かりました。親って凄いですね。そんな状態でも私を思ってくれている…
私と息子が駆けつけた時、父の体はまだ温もりがありました。最期まで優しい父を感じることができました。
令芳さん コメントありがとうございます。
私も実は未だに父親・母親の死というものを100%受け入れることができておりません。
もう何年も前のことなんですが・・・
未だに実家の近くを通ると、母親がまだそこにいるような気がします。
父親が亡くなった病院の近くを通ると、胸が痛みます。
これって誰もが感じることなんでしょうかね?
意外と私の場合は、亡くなった後のほうが精神的に辛かったです。
亡くなった時よりも、しばらく時間が経ってから心の穴が大きくなっていきました。
でも、やはり時間がなにより癒してくれるかもしれません。
どうかお力を落とさないでくださいね。
早々にコメントありがとうございました。
亡くなった時は、いろいろとやらなくてはいけないことも多く、変な言い方ですが、しっかりと悲しむことができないものですよね。
私も時間が経ち、生活をする中で「お父さんはもういなくなっちゃったんだなあ」と感じることが多いです。母の時もそうでした。これは、何年経っても同じですね
このサイトのお蔭で、皆さんの想いが分かり、誰もがその悲しみを胸に生きているのを感じることができました。ありがとうございました。
大動脈破裂で治療できず、非常に危ないということで、すぐに病院に駆け付けたのに、ベッドで普通に会話できた父。2日に亘って病院にずっと詰めていたのに、私が少し目を離した間に父は逝ってしまいました。
「ちょっといなくなるよ」
「迷惑かけてすまないな」
「なにをいっているのさ、すぐ戻ってくるよ」
「もう戻ってこなくていいぞ」
「ほんとにすぐだよ」
こんな会話を交わして、手を互いにあげあったのが最期になりました。15分後に戻った私は、既に心肺停止した父を見て半狂乱になりました。なんでそのタイミングにいなくなってしまったのか、激しく後悔しました。
一方で、その瞬間に立ち会えなかったことに安堵する気持ちもあります。甘えん坊でお父さんが大好きだった私は、苦痛を伴う延命措置を要求し、父の静かな旅立ちを阻んだことでしょう。気持ちよく眠っているようにしか見えない安らかな父の顔は後悔を少しだけ和らげてくれました。
お父さん、最期までありがとう。
まっくさん
コメントありがとうございます。
最期まで会話ができたのは羨ましいです。
私は父も母も最期には会話はできませんでした。
きっと素敵なお父さんもご納得された最期の別れではなかったでしょうか・・・
すてきなコメントありがとうございます
優しいコメント、ありがとうございました。
このサイトのおかげで心が落ち着きました。人生の先輩方でもお父様やお母様が亡くなられたことを受け止めるのは難しいということがわかりました。未熟者の私は、もっと時間をかけてお父さんが旅立ったことを受け止めて行こうと思います。
面倒くさがりやのお父さん、夢に頑張って出てきてくれたら、うれしいです。
都内在住です。
地方の介護施設に入居中の父の死に目に立ち会うことが出来ませんでした。
朝、介護施設から病院に運ばれた連絡を聞き、急遽、飛行機を取りましたが、移動中の羽田空港で父が亡くなったとの連絡を医師から電話電話聞きました。
3ヶ月前の胃摘出手術後から体調が悪く食事量も少ない状態でしたが、
月1回2〜3日しか一緒にいてあげることが出来ず…。
父を1人で死なせてしまった申し訳ないが気持ちでいっぱいです。
ななりさん コメントありがとうございます。
私もたくさんの方からのご相談があるのですが、
みなさんなにかしら後悔されていいる点も大なり小なり
抱えていらっしゃいます。
だって、100%満足してもらえるような介護って不可能ですもんね・・・・
私も父の時には、最期にもっとどうしてやさしく出来なかったのか?
いまだに心残りです。
まさか、あのまま逝ってしまうなんて考えてもいなかったので
病院に連れて行った後、普通に会社に仕事に行ってしまったんです。
その後 すぐに人工呼吸器をつけるため眠らされました父は1週間後に旅立ちました。
いまだにそのことは後悔しています。
でも、自分自身には「仕方なかった・・・」と言い聞かせています
返信ありがとうございます。
亡くなった後に写真を見ては涙ぐみ、あの時、何故こうしてあげれなかったのだろうと後悔の念で一杯になります。
本当に自分勝手な娘です。
まだまだ気持ちの整理がつきそうにありません。
お話を聞いて下さり、ありがとうございました。
母が入院している病院は駅から徒歩で20分程の所にありました。田んぼの中の駅で周りには何もありません。昨年の5月頃から母を見舞うため東京から片道約3時間かけて日帰りしていました。ほとんど毎週のように。7月になって暑くなって来たので8月はちょっとお休みをさせてもらう事にしました。9月の最初の金曜日でした。定年を迎え実家の近くに戻ってきて父と母の面倒を見ている兄から電話があり、母の体に繋がったチューブを抜くようなことを言っていました。私は直接病院の先生から話を聞きたいと思い、直ぐに東京を発ちました。夜の8時半頃だったと思います。小雨の中最終電車で兄の所に着いたのは、12時を回っていました。明日の朝、もう一人の兄に病院に連れて行ってもらう事にしました。朝になって病院に行ったら、母はもう亡くなっていました。看護師さんが、2人の兄には何度も電話をしたんですが、お出にならないので。と言っていました。私の電話番号は教えてなかったのか、東京だから緊急の場合の番号ではないと判断したのか?私は私のスピリチュアルな何かで行かなければと判断して、昨日着いているのに、何故昨夜来れなかったんだろう?誰にも看取られずに逝った母・・・。「いい子が出来てよかったよ」なんて言ってくれた母。「あなたの子供で良かったよ」って言う前に逝ってしまった母。ようやくこれで家に帰れるね。それから葬儀の日まで、母の隣にお布団を敷いて寝ました。私に出来る事はそれ位しかありませんでした。
梅田さん、どうかお気を落とさずに・・・
どうしても離れて住んでいると最期に立ち会えないこともあります。
そのことをずっと後悔されている方からのご相談も多いです。
私の姉も母の最期には立ち会えませんでした。
私の父は母が病院を出た後 すぐに逝ってしまいました。
病院から私に連絡があり、すぐに駆けつけるか?電車で帰ってきている母を待つべきか?
そんな決断を迫られていました。
(当時は母は携帯など持っていなかったので)
そんな感じで父の最期には立ち会えませんでした。
一週間前に父を亡くしました。小学生3年の息子に亡くなる瞬間を見せるのはショックが大きいかと思い、余命2、3日と医師から言われたときから夫に子どもを見ていてくれるようにお願いしていましたが、夫は子どもをみるどころか、1人で外出し、結局わたしは父の旅立ちに立ち会うことができませんでした。夫のことは一生許せません!許しません!!
父の死に対しての悲しみと罪悪感と後悔で気が狂いそうです。
先日大腸癌で病院療養中の父が亡くなりました。64歳でした。
若くして母は亡くなっていて男手一つで私たち兄弟二人を育ててくれました。
亡くなる3ヶ月前に父の代わりに医師の話しを聞いて、「もう抗がん剤は投与できない末期癌」ということを通告されました。
それからすぐに兄と話し合い、本当のことは告げず、
「体力が回復するまで抗がん剤は休もう」と言って父に入院してもらいました。
その時点である程度、父の死は覚悟ができていたはずでした。
それなのに父の死に対して、悲しみと後悔と罪悪感に苛まれ、仕事も手に付きません。
最後の頃の父は痩せ細り、骨と皮だけで、歩くことはおろか、寝ている体制から上体を上げることも辛そうでした。
ただ大腸癌は最後まで意識がはっきりていることが多く、確り会話はできました。
入院中は、孫や父の兄弟や近親者の方々を呼んで見舞いにきてもらったり、喜びそうなものを買って行ったり、出来る事は何でもやろうと思い実践していました。
そんな中入院していた大学病院から転院せざるを得ない状況になり、療養型病院に転院しました。
その療養型病院では延命処置(人工呼吸器・心臓マッサージ)は行わないという成約が科せられました。
転院から衰弱が激しくなり、何か口からモノを入れると腹痛が酷くなり、父はとても苦しんでいました。
わらにもすがる思いで癌に効くというネットで調べた漢方薬なども飲ませました。
父も病状が一向に良くならないことに不信を持ち「このままここで死ぬしかないのか。本当に良くなるのか」と言っていました。
その言葉に対して、私は「気持ちの問題だよ。諦めたらそこで終わりだ。」と言い、「末期癌と言われても何年も生きてる人もいるよ」と月並みの言葉で励ましたつもりでした。
亡くなる前日、私は次の日が仕事ということもあり見舞いに行きませんでした。「まだ大丈夫だろう」という何の根拠もない観測から見舞いにいきませんでした。
夕方17:00過ぎ、看護師から電話があり「血圧が測れない。もう長い事おしっこがでていない。」という連絡がありました。
「けれど、痛み止めが効いていて痛みもなく意識ははっきりしていて会話もしている。」「脈をみたところ血圧60はありそうだ」ということでした。
その言葉を真に受け、その時は病院に向かいませんでした。
その日の夜、「急変したので病院に来て欲しい」と看護師から連絡があり、
その電話で「延命処置は行わないという話しでしたが、それでよろしいですか。」と質問がありました。
「はい。それはいいです。」と答えました。数日延びたところで父は苦しむだけだと。
病院に着いたときには父は亡くなっていました。
その後の悲しみと後悔は計り知れないものでした。
どうしても心から離れない後悔と罪悪感は下記になります。
①末期癌通告を受けた時点で父に本当のことを伝えなかったこと。(伝えていれば何か違っていたかも。)
②大学病院からの転院を易々と受け入れた事。
③意識がはっきりしていて色々と指示をしてくる父に、わずらわしくなりときに冷たくあたったこと。
④最後の最後で癌に効くといういかにも怪しい漢方薬を父に飲ませたこと。(普通の精神なら手を出さないようなものです。)
⑤前日看護師から電話があった時点で病院に向かわなかったこと。
⑥最後の看護師からの質問に対して「延命処置を行ってください。」と答えなかったこと。
⑦「育ててくれてありがとう。」と面と向かって最後まで伝えられなかったこと。※母親にも言えていません。
(照れくさいし、言ったら自分が死ぬということを悟ってしまうのではと思いまして。)
ながながとへたくそな文章ですいません。
どうしても気持ちの整理がつかず書き込ませていただいています。
特に⑦に対しての後悔が大きいです。
私はどうすればよろしいでしょうか。
私の判断は正しかったでしょうか。間違っていましたでしょうか。
コメントよろしくお願いいたします。
hiroeiさま
こんにちは
私自身、父や母の看取りの時に「これでよかったのか?」と聞かれたら後悔は正直あります。でも、タイムマシンに乗って遡っても同じ結果ではなっていたと考えています。
私も父や母には感謝の言葉を伝えられませんでした。
でも、その気持ちはきっと伝わっていると思います。
ボクには子供はいませんが、自分がもし親であれば子供の気持ちはわかるんでは?と思います。
延命治療の問題は難しいですが、私の母の時にはそれをすることによる数ヶ月の延命よりも母の苦しみからの開放を選びました。(がりがりだった母は、相撲取りのように顔がパンパンに腫れていました)
hiroeiさんのような気持ちは、親との別れを経験した子供ならみんな同じだと思います。
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なにが正しかったのか?
それは誰にも判断できませんし、誰も間違ってはいないと思います。
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私も父や母を看取って何年も経つのですが、未だにその時のことがフラッシュバックします。テレビでそんなドラマがあるととても悲しくなります。
でも、誰もがいつか通る道なのですが、とても辛い経験です。
私もまったく同じ後悔の念を持っていますが、お互い頑張っていきましょうね。
ぼくは感謝の気持ちはお墓参りのときに
「お父ちゃん、お母ちゃん ごめんな! そしてありがとね!」
と心の中で呟いていますし、それで伝わるものと信じています。
一年前、お父さん胃がんで亡くなりました。一度も、嫌いなんて、思わない、大好きなお父さん。手術をして早く又トラック乗って働きたいと、言うてたお父さん。
仕事も、辞めて手術してもらえる病院を探せばよかった、借金してでも
色んな治療して、生きててほしかった。
癌になって不安や、恐怖、いっぱいあっただろうな。
もっと側で過ごせばよかった。
今。介護系の仕事しながら、お父さんをかいごしたかった、って、辛い思いを抱えながら、仕事。
介護の世界から離れようかなと、思います。辛い。。。
つい先日、父(83)が亡くなりました。
脳梗塞の後、一か月の誤嚥肺炎との闘いの後、逝ってしまいました。
私は両親との確執もあり、一時は縁を切ろうかと思うほど、親が嫌になった時期もありました。
でも、亡くなった父を見て、弟が看取ったようなものですが、私に「さっき、心臓が止まった」と連絡をくれて、信じられず夫と子供を連れて車で一時間かけて夜中の3時に病院へ飛んでいきました。
病室には
母と弟がいて、母に抱き着かれて、改めて、父の寝ているベットに行き、
眠ったような顔、まだ、暖かいからだ、信じられなかったけど、受け入れるしかない・・と自分に言い聞かせたら、泣き崩れている自分が居ました。
お通夜と告別式は辛すぎるくらい辛かったです。今父は遺骨となって実家にいます。
いつも父が寝ていた和室です。実家にいると、「父の死」がまだ、実感できず、
でも、遺影や遺骨の箱を見ると「小さくなっちゃって」と思います。
母にはお金の事で苦労ばかり掛けてきた人ですし、親が好きじゃなかったけど
やはり、死なれるのはつらいです。
大病で倒れたことが一度もない父が、今回初めて病床にいたときに治ってほしくて、神頼みまでしたけど、年齢と病気にはかなわないんですね。
母は70代ですが、今まで誰の看病も介護もしたことが無く、夫を亡くすショックもあり、葬儀後寝込んでました。今、母が心身ともに疲れ切ってるので、母も嫌だけど、倒れられる方が辛いので、父の法事の事等相談に乗ってます。
コスさん、こめんとありがとうございます。
私も父母を亡くしましたが、いまだになにかの拍子にフラッシュバックしてしまいなぜか涙がこぼれます。
遺骨となった親=自分の親 とはなかなか受け入れがたい現実でした。
あの小さい壷がお母ちゃん?なんて違和感があり今でも病院にいるような気がしてます。(もう何年も前のことなのに)
ぼくの父も母もいろんな事情があっての再婚同士でお互いに子供がいて同じDNAは3つ上の兄だけす。(他にたくさんあったこともない兄弟がいます)
そのことでいつも夫婦喧嘩ばかりしていました。(巨人の星の星一徹のちゃぶ台返しは日常茶飯事でした)
まわりの友達の家はとても幸せそうでうらやましかったです。
でも、この年になるとあれだけ嫌いだった親でしたが気持ちが変化してきています。
不思議と今はおとうちゃんおかあちゃんに素直になれます。(時 既に遅しですが)
コスさんも辛いと思いますがお母さんも辛いと思います。
自分もアレだけ夫婦仲の悪かった父母なのに、今は「いろいろな形の愛があるんだな」なんて考えるようになりました。
お疲れもあると思います。これからも大変だと思います。
でも、お母さんを支えてあげてくださいね。
頑張ってください!
8月31日87歳の母が天命を全うしました。
父が他界し15年の月日を一人で懸命に生きてきました。
こうして自分(母)が生きていけるのも、亡くなった父のおかげだと常々感謝していました。
一人っ子であった私には今後の生活の道筋、経済面、人への恩義をことあるごとに語ってきました。そんな母を疎ましくさえ思うことも多々ありました。
生前には、延命治療をしない趣旨の文面、葬儀場の手配、非課税になる
生命保険、登記簿謄本、多くの預貯金を残していました。
いざという時の数十万の現金は2か所に分散してあるとも。
保管場所すべて3年ほど前から伝えられていました。
何事にも完璧な母でした。わたしが一人っ子であることに常々心配していたのでしょう。
おかげで葬儀後何も困ることなくスムーズにできました。
しかし、そんな母を一人で逝かせてしまったことに、胸が押しつぶされそうな苦しみで一歩が踏み出せない状態です・・・・
母と私の自宅は車で30分くらい。日に日に弱っていくので1日おきに手作りの簡単な食事をお昼近くに届け一緒に食べていました。私は昼から仕事をしていたので滞在時間は小一時間。帰りに母は必ずありがとうと言ってくれました。
難聴で聞き取りも悪かったのでほとんど会話もせずの食事ですが・・・・
亡くなる前日私は夏バテで母の家を訪問しませんでした。
亡くなった当日、死亡推定時刻20時ですが、18時30分頃19時頃二回
携帯に着信履歴がありました。日ごろ安否確認は朝おはようで確認していました。携帯でと母にうるさく言っていたにも関わらず・・・私が確認しなかった・・・
あくる日も仕事にでかけ夕方母に携帯に電話しても家電にしても繋がらない。
主人と二人で駆けつけました。
すでに仏様に。安らかな顔でした。
すみません。先ほどの続きです。長文で申し訳ありません。
死因は急性心筋梗塞。死後10時間。常日頃施設には入りたくない。下の世話にはなりたくない。自宅で最期を迎えたい。と言っていたので母の本望だったと思いますが。
あの時携帯で母と話していたらsosだったかもしれないのに・・・何を伝えたかったんだろう・・・
と悔やまれてなりません。
あまりの突然の死で呆然としています。亡くなった翌日、夢枕に母が白い着物姿でうっすら目を開け私の方を見ていました。私はびっくりして、よかった葬式の用意したんだよ。びっくりした・・・
と母の肩をさする。そんな夢です。母の肩をなでる。でも、夢の中でしかできませんでした。
最期まで私のことを気にかけてくれているのだと・・・母には感謝でいっぱい。
わたしの様に不覚な思いをされている方おられるのでしょうか・・・
死後10時間もたって母のところにいくなんてこんな親不孝が・・・・
ほんとうに苦しいです。後悔ばかりで。
konochiさん、コメントありがとうございます。
でも、お母さんは天寿を全うされたのではないでしょうか?
私の母の場合、2回目の脳梗塞の時に発見が早くて病院に連れてはいけたのですが
身体の麻痺と認知症の進行
それでその後は一度も家に帰ることができず最期まで病院暮らしが続きました。
それが果たしてプライドのめちゃくちゃ高かった母には良かったことかどうかはわかりません。
あの母が始めてオムツをはかざるおえない時にはかなり衝撃でした。
リハビリもすごく辛そうでしたし、なにより認知症で母が母でなくなるのはボクもすごく辛かったです。
あのまま逝かせてあげたほうが良かったのでは?
という後悔は正直あります。
ここにあるたくさんのコメントをご覧いただければおわかりなるとおもいますが
みなさん、なにかしら後悔はあると思います。
ぼくもその後は母の夢をよく見ました。
きっと逢いに来ているんでしょうね・・・
konomiさんは一人っ子ですから悲しみを分け合うご兄弟もいないのでさぞかし辛いとは思いますが、きっとお母さんは影で応援してくれてると思います!
どうか、頑張っている姿を天国のお母さんに見せてあげてください!
江本様
コメントありがとうございました。
私の母はプライドが高く、シルバーカーを押して歩くのも拒みましたから。
おひとり様の最期静かに迎えられてよかったのかも。私が携帯電話の安否確認を怠ったことも、たまたまで偶然でそれも運命だったのかもと少しずつではありますが思えるようになりました。
母が孫の世代まで命を繋いでくれたことに感謝し、提供頂いたエンディングノートも落ち着いたら、取り組みたいと思っています。
母が。終末期で。今日か明日か明後日かとおもいながら付き添っています。でも、家庭も仕事もあるので、ずっと付きっきりではいられません。大好きな、大事な、感謝してもしたりない母を、独りで逝かせたくないと、仕事もかなり休んでいますが、やはり逝くとき一緒ににいられないかもしれない、その時悲しい…。どうか、一緒にいるときに…。と、祈る気持ちでいました。
でも、ここによらせてもらって、あ、もし、そういうことがあってもいいんだなと気持ちが楽になりました。一緒にいられるときにたくさん話しかけたり、手を握ったり(もう、何も話してはくれないのです)、したらいいんだと。ありがとうございました。残った時間大事にします。
みかんさん コメントありがとうございます。
どうかみかんさん自身のお身体にも気をつけてくださいね
きっと意識が無くてもお母さんはわかっていると思います
ありがとうございました。
5時間ほどまえに、母は、逝きました。逝くときに寄り添えないかもしれないけれどと、覚悟していましたが、今日家族みんなでおくることができました。最後の一息までみてとることがてきました。おしえていただいたように、その事が、だいしなわけではないですが、でも、よかったです。
今は何も感じません。この先もわからないことだらけです。でも、一つ一つやっていこうと思います。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
きっと空の上から「いろいろありがとね、そしてお疲れ様・・・」
とお母様もおっしゃっているような気がします。
これからお葬式の準備など大変な時間が続きますがお身体には気をつけてください。
私も母の葬儀の後はどっと疲れてしまいなにも手がつきませんでした。
3月10日に母を亡くしました。
母は約二年心臓病と肺がんと闘っていましたが、
去年の12月にもう治療ができないと緩和ケアになりました。
そのあとすぐに余命宣告され、
二、三か月長くて半年と言われ、
でも、私は母なら大丈夫!きっと長生きできるって思ってました。
でも、余命宣告通りになってしまいました…。
死に目にも会えず、
離れて住んでいましたが、病院からはバスで行ける距離なのに中々行けずに実家にいる妹に母を任せきりでした。
今となってすごく後悔しています。
なんでもっと病院に行ってあげなかったんだと、
亡くなる前日に精神的にあまり良くなくてって言われて次の日にすぐに行けば死に目に会えたのにと、
前に進まないといけない、
悲しんでばかりではいけないと、思うと余計に心がぎゅっとなるほど悲しくなります。
2日に父が他界しました!意識のある間に
少しの間ですが 一緒に住んで(1人暮しだったので途中から引き取り自宅での介護)いたのに 私も 仕事や 家族の事があり
せん妄も かなりあったので いつものせん妄だと思っていたんですが…言葉を上手く聞き取れず 痛みを訴えていたのに 中々気付かず やっと 訴えてる事が分かって 看護師を呼び 痛み止めの注射を打って頂いたのですが まだ 痛みが ありそうな顔をしているとの事で モルヒネを打つ事になり
その後 痛みが 引いたのか 寝てたみたいなので 私も 自室へ戻り 仕事の用意をして 1時間程して 父に 仕事行って来るよ!と声掛けた時には 息をしてない様な…結局 ほんの1時間 離れた間に 逝ってしまうなんて…後悔しかありません!一緒に住んでるのに 結局 側にも居てあげれなくて 1人で寂しく逝かしてしまったという後悔だけがあります!書ききれないくらいの色んな後悔が あり過ぎて…
3年前にお袋亡くなり 今年の1月3日に親父が亡くなり
看取った時、自然と涙を流してた
俺はもう失うものが何もないから何時死んでもいい