危篤の知らせを受けて病院に駆けつけると・・・・
すでに意識はないかもしれません。
臨終(看取り)|親が息を引き取る瞬間はごくわずかでしかないのです。
ご家族が息を引き取る瞬間は、
一切気を遣わず、看取りに集中しましょう。
最期の別れをするための時間の共有はもう限られているのです。
でも、いろいろな理由で親の死に目に会えないことも覚悟しなければいけません。



仕事・家事などで子供が親の死に目に立ち会えないことも少なくない

親にお死に目に立ち会えなかった
これから旅立つお父さんお母さんに、
ただ寄り添っていてあげる

それで十分な看取りといえるのではないでしょうか?
この世から旅立つ親の横に一緒にいてあげることが
なによりの看取りだと
私は考えています。
でも仕事や子育て家事があればずっと最期が近い親に寄り添ってあげていることもできません
まして遠く離れて暮らしていればなおさらです。

悲しい現実ですが、お父さんお母さんの身体が暖かいのはごくわずかな時間だけ

相続対策専門士江本圭伸私の母の場合もそうでしたが、
自分自身 母との別れという現実をすぐには受け止められませんでした。
他の兄や姉と違い自営業の私は時間の融通が利きました。
また、最後まで母と同居生活だったので毎日病院に顔を出していました。
そんな時に看護師さんから
今夜はご家族の誰か病院にいてもらえませんか?
そんな看護師さんからの申し出に
確かに「いつなにがあってもおかしくありません!」と医師から宣告は受けてはいましたが
「もぉ-いつもとそんなに変わらないにぃー?」
とそんな風に考えていました。
看護士の申し出通りに私が病院に泊まることにしました。
そして朝方、容態が急変しました。
幸い兄は出勤前の朝5時過ぎに病院に顔を出してくれました。
兄が来たことで安心したのかその時を待っていたように急変したのです。
すぐにご家族を!」と看護師さんに言われ
病院に泊まった私は(一睡もできませんした)慌てて姉に連絡しました。
残念ながら姉は親の死に目に会えませんでした。

兄が来た瞬間に、母はカッと目を一瞬だけ開けました。(不思議です・・・・)
それだけが救いです。
私は、駆けつけた兄姉との別れをしているのを横で呆然と見ているだけでした。

「お母ちゃん!お母ちゃん!」と
何度も何度も話しかけて、手を握りました。
本当にまだ眠っているだけのようでした。

医師から死亡の宣告を受けても
「違う違う!寝てるだけやん!」
とこじつけの理屈を自分に言っていました。
母は安らかな顔をしていました。
恥ずかしながら、私はただあたふたと狼狽し動揺していました。

しかし、臨終を迎えた人の身体は1時間ごとに1度ずつ下がっていくそうです。

自宅や安置施設に運ばれた後では、遺体は冷たくなってしまい
生きていた時の暖かさは感じられなくなります。

ですので、別れの瞬間は貴重な時間です。
しっかりと故人とのお別れを惜しみましょう。
暖かい身体の間に
眠っているような状態で話かけられる時間は限られているのです。

「親の死に目に会えない」が親不孝なことである本当の意味

遠く離れていて親の死に目(臨終の)場に立ち会えなかった・・・
親の死に目に立ち会えなかった・・・
という罪悪感に苦しまないでください。

「親の死に目に会えない」ことが親不孝であるという本当の意味は?

とかく世間では
「親の死に目に会えない」ことをすごく親不孝なことだと考えている方がほとんどです。
しかし、本当の「親の死に目に会えないことが親不孝であるという意味」は少し違うようです。

「親の死に目に会えない」ことが子供のする最大の親不孝である本当の意味
子供が親より先に死んで親の死に目に会えない
ことだそうです。
僕も間違って解釈していました。

病院などから遠く離れていた場所にいて、死に目に会えなかった
急に容体が急変して臨終の場に立ち会えなかった。
もし、そんなことになってしまったとしても自分を責めないでください。

また、家族の誰かが臨終の場に立ち会えなかったとしても
どうして急いで来なかったの!
と責めるべきではないと思います。

看取りとは、
ただ臨終の場に立ち会うこと
ではないと思うのです。
医師から余命宣告を受けた段階から
看取りは始まっているとも思います。

ですから、
「その時」が訪れるまで
看病やお見舞い、思い出旅行など
故人との過ごした時間の共有の全てが看取りではないでしょうか?
息を引き取った後においても
ご遺体を対峙して静かに時間を過ごすことでも
十分 看取りに参加されていると思います。

臨終の瞬間は一瞬だから、それよりも大切なこと

「臨終の場に立ち会えなかった・・・」
「親の死に目に間に合わなかった・・・」

それをすごく後悔されている方も多いのです。

また、
「あんな親不孝者はいない!」
「仕事と親とどっちが大切なんだ!」

と、臨終に立ち会えなかった家族を他の家族がずっと責め続けていることもあります。

しかし、
それはきっとやむを得ない理由があるからなのです。
人にはそれぞれ事情があります。
親の死に目に会いたくない子供などいません。

だから、そのことを責めないでください。

そんな後悔をしないために、ご両親や身内がご存命のうちにできるだけのことをしてあげる。

時間の許す限りお見舞いに行く
遠方ならばメッセージを送る、手紙を送る

ほんの少しでも寄り添う努力をしていれば、
それだけでも旅立っていってしまったお父さんお母さんは
そのことを十分 感謝されているのではないでしょうか?

親の死に目に立ち会えなくても後悔しない親の看取り

親の看取り

私も父と母を見送ってから数年になります。

「果たして、それが100点満点だったのか?

それは今もわかりません。

泣き虫の私はいつも、ふと思い出しては涙ぐんでしまいます。

まだ、あの病院にいるような気がして・・・
実家に帰れば「お帰り!」と声が聞こえるような気がして・・・

父も母も亡くなってから、もうだいぶ経つのに未だこんな錯覚があります。

どこで看取りをするのか?
どこまで延命治療をするのか?

それは私にどうのこうのアドバイスなどできません。

ただ、やっぱり最後は子供達 そしてご本人の考え方(死生観)によるものだと思います。

でも、やっぱり家族に看取られるのが理想だとは考えますが、
なかなかこれが現実的には難しいです。

一度、この動画をご覧になってみて
親の看取りを考えてみてはいただけないでしょうか?

年端もいかない子供を臨終の場に立ち会わせることの是非

子供 別れ
臨終の場に子供を立ち会わせるべきか否か?
については賛否両論です。
あなたはどうこのテーマについて考えますか?

年端もいかない子供を臨終の場に立ち会わせることの是非
少し難しいテーマですね。
幼い子供は、大人が泣いているのを観て、つられて泣いているだけかもしれません。
しかし、
人間にはいつか死が訪れる
という現実をしっかり認識できる貴重な機会かもわかりません。
このあたりはいろいろな考え方もあると思いますが、先の動画も参考にしてみてください。

私自身は大阪で生まれ、大阪で育ちました。

少々ワケありの両親でしたから、それほど親戚つきあいはありませんでした。
ですので、親戚のお葬式に出ることはあっても、そこに至る経緯などはわからず
ただ参列していただけのように思います。
正直、涙はあまりでませんでした。

しかし、いざ自分の身内に死が現実になった時には、
その現実をなかなか受け入れることはできませんでした。

そんなこと、テレビドラマの世界しか経験したことがなかったからかもわかりません。

夫や妻の看取り

夫・妻の看取り

長年 一緒に暮らしていれば愛だの?恋だの?という感覚はもはやないかもわかりません。

しかし、『親の看取り』以上に辛いのはこの配偶者(妻・夫)の看取りかもわかりませんね。

いずれ、私もその経験をさせるのか?経験するのか?はわかりませんが
その時にはどんなことをしてあげられるのでしょうか?
どんなことをして欲しいのでしょうか?

泣く江本

この動画を観るといつも涙がこぼれます。
母がもう危ないと言われてから数日間、仕事を抜け出しては何度も何度も病院に行きました。
意識のない母に
「おかあちゃん!僕やでぇ!伸ちゃんやでぇ!
 伸ちゃんが来たんやでぇ!」
(お願いやから返事してぇなぁ・・・)
と大きな声で母の手を握り語りかけたものです。
すると、意識の無いはずのおかあちゃんがニコッとかすかに微笑んだのは私の錯覚だったかもしれませんね。

僕が看取りをされて見送れるなら
「めちゃくちゃ悲しんで欲しい!」
「いっぱい泣いて欲しい!」

そして、しばらく時間が経ったなら
「私のバカでおっちょこちょいなことを思い出して笑ってほしいものです!」

あなたならどんな看取りをして欲しいですか?

あなたのご両親はどんな看取りをして欲しいと考えているのでしょうか?

「これで良かったんだ!」と子供が親の死に目に対する覚悟と準備

親の死

実家売却や子供の近くに親を呼び寄せる専門の不動産屋である私でも、80歳を超えた高齢の親御さんに引越しを無理強いするのは心が痛みます。
ですから『人生の最期は住み慣れた自宅で』という選択も致し方ありません。

危篤状態になった親の最後を静かに見送るために子供が心の中で覚悟しておくこととは?

今は核家族が進んできています。
親と同居して暮らしている子供は本当に少数派です。
親戚づきあいも本当に希薄な関係でしかありません。(誰かの結婚式やお葬式にたまに顔を合わせる程度では?)

そこで問題なのは『人間の死』に接することがあまりありません。

ですからいざ親の死が現実になてくると、とてもそのことを受け入れられなくなるのです。

親危篤

無理やり命を延ばす延命治療を考える前に

どうしても・・・
どうしても・・・
親が死ぬなんて受け入れることはできないのは理解できます。
私も母がいよいよ最期の時が近づいてきた時にも奇跡を信じてしまいました。

ただ、お医者さんから「延命治療はどうされますか?」と質問された時には思わず言葉が詰まってしまいました。
「ほんまに、ほんまに、ほんまにお母ちゃん 死んでまうんやろか?」
と現実を受け入れられませんでした。

最期の親の望みをかなえてあげるべきか?
「食べたい物?」「自宅に帰る?」

病院の母が「家に帰りたい・・・」と訴えていた時には心がすごく痛んだものです。
とても帰らせることができる状態ではありません。
また味気ない病院の食事、満面の笑顔で「はぁぁお腹いっぱい!もう食べられへんわ!」というくらい好物を食べさせてあげたかったです。
※とても食べられる状態ではなかったけれど・・・(涙)

最期が近い親を持つ子供さんに観て欲しい映像を紹介します

いずれ辛い決断をしなければいけない時が必ずやって来ます。
その時に備えてこの映像を観て一度真剣に考えてみてはいだだけませんか?

生きているうち、元気なうちにするのが最高の親孝行かも?

私も父や母を見送ってからは後悔がたくさんありました。
「なんで、あの時 ああしてあげへんかったんやろう?」
「あそこにも連れて行ってあげたらよかった?」
「あんなに好きだった◎◎、もっと食べさせたかったなぁ?」

などたくさんの後悔ばかりです。

泣く江本

でも、タイムマシンに乗って少し前の過去に遡ることができても、きっと同じことをしていると思います。
だって、みんな忙しいし、そこまで気配りができないものですからね・・・

そんな後悔をずっと引きずっている子供さんからのご相談もたくさんあります。
でも、親の最期の望みを100%完璧にかなえてあげることなんて不可能ですから仕方ないことなんですよね・・・。

みんな親の死に関して少なからず後悔や懺悔の気持ちはあるものだから

泣く江本

僕自身、お父ちゃんやお母ちゃんとの別れに関しては、やっぱり後悔はあります。

友人や親戚からは
「大往生やん!」
「よう介護 頑張ったなぁ」
と慰めやねぎらいの言葉をもらいました。
でも、見送る子供としてはやはり
「もっとこうしてあげたらよかったかぁ・・・」
「あの時の決断は正しかったんかなぁ・・・」
と後悔や懺悔の気持ちはありました。

だから、いつも亡くなってしばらくのお墓参りの時に
「お父ちゃん 親不孝な息子でごめんなぁ」
「お母ちゃん もっと長生きしたかったかぁ?」
なんて話しかけていました。
その時にお父ちゃん お母ちゃんは
「かまへん かまへん」
と答えてくれている気がします。

親の看取り|実親の死に目に立ち会えなかった原因を誰かのせいにしてはいけない

『あれで本当に良かったんかなぁ・・・』
これは親の看取り、死別を経験した子供なら誰でも考えることです。
でも、結局それ以上のことはできなかったんじゃないかな?
というのが現実だと私は自分に言い聞かせています。

親の死に目に会えない

親の看取り、死別の精神的ショックは子供にとって相当大きいし、
とかく自分を責めてしまうものです。
でも親の最期の死に目に会えなかったことだけで今まで子供自身がしたことを全否定はしなくてもいいと私は思います。

泣く江本

私もかなり親の最期の看取りに関しては自責の念があります。
あの時、もっと仕事を早く切り上げていれば・・・
あの時、もっと話しかけていたら・・・
そんな思いが断ち切れません。

でも、タイムマシンにでも乗って
もう一度あの時に遡ることができたとしても、やっぱり同じ結果になっているんじゃないかな?
と思っているんです。

「親と遠く離れているところで暮らしてる子供(遠距離介護)」
特に両親のどちらかが先立って片親いなってしまった親の場合は特に悔いが残ってしまうかもしれません。

私も父が亡くなって、母親がひとりになってしまってからかなりの時間が続きました。
だんだん身体も弱くなっていったし、二度の脳梗塞で麻痺も出てきて最後は認知症の症状もかなり出てきてしまいました。
お医者さんからも「いつなにがあってもおかしくない状態ので覚悟はしておいてください」と言われてからも、母は何度も奇跡の復活をしたものでした。
しかし、いつかはそれも終わってしかうものなのですね。

確かにあの時 ああしていれば?と後悔もしてしまうことばかりですが・・・

今は延命治療などの医療技術もすごく進歩していて、お医者さんから余命宣告されてからが結構長い期間にわたって介護しなければいけません。

泣く江本

私も母が医師から
「いつなにがあってもおかしくない状態なので、覚悟はしておいてくださいね。」
と宣告されてから、携帯電話が鳴るといつもドキッとしたものです。

親の看取りしかし、仕事を全部放り出して、24時間つきっきりというわけにもまいりません。
だから、親の死に目に必ず立ち会わないといけない?というのは少し子供にとっては酷なことです。
だって子ども自身にも仕事や家庭があるのですからやむおえないことじゃないかな?
それにもう会話もできない状態がずっと続いているのですからお別れはまだ息をしている状態でも話しかけてあげることでできるのではないでしょうか?
きっとそのことはお父さんもお母さんも理解してくれているのでは?
と私は考えていますが、いかがでしょうか?

よかったらこちらも目を通してみてください。
もし少しでも親の死に目に立ち会えなかったことに後悔しているのならほんのが少しだけでも胸のつかえがなくなるかもしれません。
ほんとうに大変で辛かったのは親のほうかもしれないのですから・・・(涙)

親との最期の別れが近いあなたに辛いアドバイスですが親をきちんと見送る準備をしましょう

親の最期が近いことが現実に近づいてきているあなたには辛いアドバイスですが
最悪の事態を想定しておいて欲しい
ことなんです。
そうです。
お葬式のことです。
余裕のある今ならまだゆっくりと比較検討もでもできるのですが、これがいざとなった時には冷静な判断も難しく後で後悔もしてしまいます。
あなたがもしも無理ならば誰かに任せておくこともいいかもしれません。
とりあえず資料請求だけでもしておくことをおすすめします。
今はコロナの影響もあり小さな家族葬が人気です。

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